教育の理想を求めて

チームワーク


最近、チームワークの本当の意味を理解している人がいなくなった。
団塊世代が現役を去って引退した。

団塊の世代は、層が厚く、リーダーの立場を長く独占してきた。
かつては、30代で課長、部長といった管理職になれたのに、いつの間にか万年課長、万年平。
そうなるリーダー的な立場に立たされるのは、50代半ば、そうなるとゴールの定年退職が見えてくる。

我々が若い頃はなるべく早く責任ある立場を任せて、経験させろと言われたものだ。そうしないといつまでも奴働き、仕事を束ねたり、組織を仕切る事が出来なくなるぞと教えられた。
現実に、気が付いてみれば、仕事を束ねたり、仕切る事のできるものがいなくなってしまった。

チームは、リーダーとメンバーからなる。リーダーにはリーダーシップ、メンバーにはメンバーシップが求められる。それは何も差別だのパワーハラを意味しているわけではない。

組織は、意思決定の連鎖であり、指示に始まり、報告に終わる。この筋が重要となる。
チームは、決定者は一人、指示する者も一人、そして、その他の者は、決定してはならない。指示してはならない。
リーダーとメンバーは、表裏の関係にある。
担当者の立場が長い者は、決めてはならないと長い間躾けられている。指示してもならないとも叩き込まれている。だから担当者の仕事が長くなると決められない。指示待ち。指示がなければ何もできない。誰かが決めてくれなければ何も決められないというようになる。

ママがいなければ何もできない子供のようなものである。

組織には役割があり立場がある。組織的な仕事を覚えれば、自然に、役割や立場に応じた仕事ができるようになる。
しかし、長い事使いぱしりをやらされていると人を使う事が出来ない。何でもかんでも自分でやってしまう。それがいい事だとも思いこんでいる。人を使うなんて悪い事だと思い込むのである。

これは仲良しクラブ、友達の間では通じるかもしれないが、社会に出たら通用しない。

野球でも、監督は監督、選手は選手、審判は審判、応援は応援と立ち位置も居場所も決められている。
試合開始時に所定の位置にいなければ試合は始まらない。審判が決められた位置で決められたように宣言をしないと試合は始まらない。
監督は、試合中、勝手にフィールド内をうろついてはいけないし、打者は試合が始まったらバッターボックスにいなければならない。

選手も、監督も、審判も最低限のルールはマスターしていなければならないし、少なくともルールに従うのを当然だと思っている必要がある。

試合が始まってから打順を決めるのでもなければ、守備位置はあらかじめ決めておく必要がある。

それすら今の学校や親は封建的だの、強権的だと言い出しかねない。決められ堕時間内、先生の許可なく歩き回ったり、私語をしてはならない。こんなことも強権的だという。こうなったら教育なんて成り立たない。

社会にとってチームは必要であるし、チームワークを身につけていなければ社会生活は送れないのである。


                content         

ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2018.10.10 Keiichirou Koyano
教   育