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先生は指示・命令者である。


先生は指導者である。
先生は、自分が指導者である事を自覚すべきなのである。

先生は、指導者であり、学級は組織である。そして、管理する相手が過剰に組織である。
通常の組織では、七人が管理限界と言われている。十人を超える集団を管理するのが先生の仕事だとなると個人の力でクラスを纏めるのはかなり無理がある。今人の能力の限界を超えているのである。
それ故に、先生は、指導者であり、統制者である事が求められる。さもないと学級は無秩序、無法な状態に陥る。

生徒一人ひとりの意志を尊重すると言っても限界があるのである。
その点を理解しておかないと先生は務まらない。

生徒は徒党を組めば無法者に変わるのである。
生徒を無法者にするのは、先生の姿勢にも原因がある。
先生が先生、即ち指導者として振る舞えないから生徒は先生の指導に従わないのである。

話をしても言う事を聞かない者は言う事を聞かないのである。
それを黙って見過ごせば言う事を聞かない者が正しい事になる。

自由放任では教育はできない。教育の根本に強制があるからである。強制があって自主性や自発性は発揮される。自発性や自主性だけでは組織は動かないのである。

先生が生徒を纏めるためには、指示・命令の出し方が鍵となる。
その点を今の学校は教えない。

学校は、社会であり、組織なのである。
理屈として組織を否定するのは、その人の勝手かもしれないが、現実の教育の現場で実行されたらそれは悲惨な状態を引き起こすことになる。
生徒の人生や人格を狂わせ、時には、自殺者まで招きかねない。

学級は組織である。組織である学級は、指示・命令によって動く。
指示・命令権を先生に対して封じたら先生という役割そのものを否定することになる。
指示・命令系統の崩壊は、組織の深刻な病気である。

組織は、指示命令系統が損傷しても初期の段階では、定型業務が機能しているので、通常業務は上辺は機能しているが、新規業務や非定型業務、非常時の業務には機能しなくなる。又、人事異動、環境の変化などによって定型業務の風化、劣化していく。
この様な命令系統の劣化からくる組織の病気は、自覚症状がなかなか現れない。
自覚症状としては、何となく気分が悪い、人間関係の悪化というような形で現れる。そして、仕事の滞留、不効率、事務の形骸化、無責任な言動、行動が目立つようになる。結論の出ない会議や打ち合わせと言った無駄な会議の増加といったことが現れる。
そして、組織の病気は、組織の中で一番弱い部分に負担をかける。そして、精神の異常、鬱病や自殺の原因にもなる。統制力がなくなれば、集団による個人への攻撃、いじめとか、リンチを誘発する。
次に、あからさまな反抗、先生や上司と言った責任者に対する不満。規則の無力化等が現れ。いじめや個人攻撃、誹謗中傷が横行するようになる。
不正行為の横行、権威の失墜、無秩序、そして、最終的な段階に入ると組織の制御、統御ができなくなり、突然死のように組織が機能不全に陥るのである。

先生には威厳がなければならない。
なぜならば、出された指示・命令は守られなければならないからである。
先生から出された指示・命令は必ず実行されなければならないし、違反した者は罰せられる必要がある。さもなければ、教室の規律は保たれない。

先生が生徒にお願いしなければならない状態は好ましい状態ではない。

組織は、指示命令によって動いている。
指示、命令を出す時に気を付けなければならないのは、実行できない指示・命令を出してはならないという点にある。又、ぼんやりとした命令を出してはならない。
組織にとって指示・命令は、絶対的な働きをするため受令者が実行不可能な指示は出してはならないのが原則である。それ自体が指示・命令の効力、威力を失わせるからである。
無茶な命令というのは実行できない命令を指す。
ぼんやりとした指示・命令というのは、実行するために必要な要件を欠いているために、実行することができない命令である。
受令者が指示命令を行うに当たって迷うような指示・命令は、指示・命令としての機能を果たしていない。
この様な指示・命令は、指示・命令系統を機能不全に陥れるために、極めて危険な行為である。

敵対する勢力が組織や体制を崩壊する手段として日常的な不平不満に同調するふりをして指示・命令系統を攻撃する。指示・命令系統の崩壊は、組織体制を土台から突き崩すからである。

警察、消防、防災などの組織は、命令系統が機能不全に陥ると隊員の生命を危うくする。そのために、抗命や命令違反、不履行に対しては、厳罰をもって臨んでいる。

出された指示・命令は、必ず履行されなければならない。出された指示に従わないことがあると指示・命令の有効性がなくなる。指示に従う者と従わない者が出ると組織の統一性がなくなる。
指示、命令は、お願い、願望ではない。お願い願望では組織は動かない。

中枢幹部に指示・命令系統に逆らう者、指示・命令系統を私的な目的で活用する者が出ると組織は内部から腐敗する。それが獅子身中の虫である。

指示・命令の出し方は、組織運用の基本中の基本である。
生命線でもある。

命令は、訓示と号令からなる。
訓示とは、命令の考え方や目的、方針の部分をいい、号令は、実際にすべき要件を明らかにした部分を言う。
通常、組織の上位に位置する者は、訓示を述べ、実際に作業を遂行する現場は、号令によって動く。この二つの要素を局面局面において使い分けることで組織は作動する。

私が、仕事に就いた頃、社内教育をしようと産業訓練プログラムについて大手のコンサルタント会社を回ってみたがどこも産業訓練プログラムをしていないと言われて驚いた。基礎教育をしなかったら組織が土台から崩れてしまうと思ったからだ。
未だその頃は、事務管理の書籍がそれなりに発行されていて、ハウツウ本が盛んに出ていた。又、システムの黎明期に当たり、業務のフロー分析が盛んに行われていた。
あれから三十年以上たって自分の杞憂は的中しつつある。

組織が土台からとろけだしているのである。
組織やシステムにおいて本来、ブラックボックスではない部分がブラックボックス化し、中枢部分が見えなくなりつつある。土台となる仕組みに重大な欠陥があって何かの拍子にそれが作動してシステム全体を崩壊させる自体になってもそれを防ぐ手立てがなくなりつつあるのである。

今の学校教育は、意識してかしないかはわからないがアナアキーな傾向がある。その証拠に、組織を全面的に否定している。規律とか、規則とか、規定とか、秩序とか、統制を全面的に否定している。
組織は、手続きで動く仕組みである。組織を動かしているのは指示命令である。
組織は、自主性、自発性では動かない。自主性や自発性は、組織を動かす活力であるが組織の仕組みを直接的に動かす働きはない。
手続きが面倒くさいとか、うざったいとか言って正規の手続きをとらなければ組織は動かなくなる。
危ないと思っただけでは車は止まらない。車を止めるためには、ブレーキを踏むと言った車を停止する為の操作をしなければならない。また、車が停止後もサイドブレーキを引いてエンジンを切ると言った操作をしないと車は、停車状態を維持できない。
自動車はエンジンを始動し、ブレーキを外し、アクセルを踏まないと動き出さない。
組織も自動車と同じように一種の仕組みである。指導者が頭の中で考えても組織が動くわけではない。組織は念力で動くのではない。何度も言うが組織は指示、命令で動く仕組みなのである。
今の学校は、超能力教育をしているようなものである。組織は、超能力では動かす事はできないのである。組織は、指示・命令で動くのである。組織は、集団であり、強制力を行使しないと動かないのである。善意で組織は動かない。

強制は、悪だ。強制、強要は悪いことだから指示・命令は悪い事だとしたらそれは先生にとって自殺行為である。



チームワークと集団活動を学びなさい
定石・手順
組織的意志決定


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