教育の理想を求めて
ルール
社会や組織にはルールがある。
チームワークには不文律がある。その不文律を理解していないと社会や組織の一因にはなれない。
ところが今の学校やメディアは、このような暗黙のルールを認めようとしていない。
礼儀だの作法といった事を悉く否定し、破壊しようとする。あるいは、破壊しなくとも無視しようとする。
その結果、教育の現場から秩序が失われ、結局困るのは、教育の現場に立たされている者たちである。
ルールを学校でも家庭でも教えようとしなくなった。
その結果、ルールの意味さえ分からない若者達が増えてきた。
酷い場合は、ルールは悪い事、ルールを破るのは当たり前な事、ルール破りはかっこいい事、ルールを破る者をヒーロー扱いする。
英語やテレビのバラエティ番組で掟破りが励行さえされている。
その結果、はしたないとか、見苦しいとか、破廉恥なんて言葉も死語になってしまった。
人としての尊厳や誇りさえも失おうとしている。
戦後の占領政策というのは、大したものである。植民地政策の手先となったメディアや先生、役人が、学校からルールを失くしてしまった。
何しろ、学校そのものが反権威、反権力の巣窟なのである。
ある種の勢力は学校から革命を興そうとしている。
だから、ルール違反を窘めたり、正そうとしても。ルール違反をする者を罰したとしてもルール違反を失くすことはできない。
赤信号、皆で渡れば怖くないなんて囃している者をオピニオンリーダーだなんて煽てているのだから何をかいわんである。
そのために、最近は、ルールの意味さえ分からない者が増えてきた。
多くの場合、罰せられたり、注意されることは、ルールに関してである。
ルールはマナーの下地となる。
よく綺麗事を言うなとという。綺麗事という言葉で、掟破りを正当化しようとする。
秩序とか、ルールとか、礼儀とかを守ろうとするとそれをきれいごとと言って攻撃するのである。
ルールを守る事は、組織人、社会人として当然の事であり、組織人、社会人として守らなければならない規範である。
ルールがあるから組織や集団は統制が取れる。ルールがなくなれば、組織や社会は、単なる無秩序な集団となり、暴力によってしか統制がとられなくなる。
そのような状況を革命的状況として革命家は作り出そうとしているのである。
革命的状況になれば暴力的に支配する事ができるようになるからである。
彼らの多くは、平和や自由、平等をよく口にする。
しかし、ルールを破壊すれば無法者、無頼漢しか生き残れなくなる。
人が罰せられるのは、ルールに違反した時である。
ルールを守らなかったり、ルールを破ったことを注意しているのも、性格だの、能力を嘲られたと曲解する者が後を絶たない。
そういう者は、いくら注意してもいう事をきかない。逆恨みされるのがオチである。
しかし、注意しなければチームは保てなくなる。
また、一般常識程度のルールは覚えておかないと、一人前の社会人として認知してもらう事ができない。まっとうな市民生活を送ることはできない。
ルールはルールである。
そこを勘違いしてはならない。
スポーツを例にとればわかりやすい。
スポーツでルール違反をすれば即退場である。
なぜならば、ルール違反を容認したらスポーツを保てなくなるからである。
スポーツは、ルールを守る事で成り立っている。
野球で人によってアウトカウントを変えたり、ルールに順ったり、従わなかったりしたらスポーツなんて最初から成り立たないのである。
小学生ですら、ルールを守らなければスポーツは成り立たないことくらい知っている。
小学生ですらルールを守らなければならなければならない事をわきまえているはずなのに、ルールを守ろうとしない、ルールを知ろうとしない大人が増えている。
ルールはルールである。その事を理解させておかないとスポーツなんて初めから成り立たない。ルールのわからない子が、ゲームを滅茶苦茶にしたとしてもルールの意味を教えない、ルールを守らせようとしない者が悪いのである。
ところが、ルールを守ろうとしない者をメディアは、ほめそやし、英雄扱いまでする。それでは社会なんて保てないのである。
学級崩壊も家庭崩壊も必然的結果である。
ルールを守らない事は自由とは違う。
社会的ルールを守ろうとしない、常識的な社会的ルールを知らない若者が増えている。
荒れる成人式なんて今に始まった事ではない。無秩序な成人式に招かれて怒る来賓をよく見受けるが、怒る前に若者をそのように育ててしまった自分たちを恥じるべきなのである。
関係なんて言わせない。関係ないという事自体ルール違反なのである。
ルール違反をしている子がいても見て見ぬふりをし、ルール違反を守らせようとしない。
それではルールを守る者はいなくなるのである。
ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures
belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout
permission of the author.Thanks.
Copyright(C) 2016.12.22 Keiichirou Koyano