教育の理想を求めて

チームワークとは自分をさらけ出す事


僕は、チームワークと言うのは、自分の弱点、欠点をさらけ出す事から始まると思うのですね。
しかし、人は、兎角、自分の弱点や欠点失敗を隠したがる。知られたくないものなんですね。その根本は劣等感だと思うのです。
だから劣等感は命取りになる。自分の弱点や欠点を隠そうとしたり、知られたくないと思ったら、弱点や欠点を克服する事なんてできませんからね。なにも向上しません。嗚呼、俺はなんて駄目な人間だと思ったところから人生は、始まるんですよね。
チームと言うのは、劣等感なんて斟酌しないんですよ。とにかく、自分をさらけ出し、できる事できない事を見極め、後は、どの程度できるかがわかればいいんですからね。
一番問題なのは、できない事をできると言い張ったり、わからない事をわかりましたという事ですね。もっと困るのは、失敗やミスをごまかしたり、隠したりする事ですね。結果しか問題とされませんから、できないなら、できない、わからないならわからない、忘れたら忘れた。失敗したら失敗したと言ってくれることですね。
試合中に自分のエラーに動揺する事は許されない。心の動揺は自分で修めるしかないでしょ。
劣等感なんて仲間には関係ないんですよ。ちゃんと仕事をしてくれればいい。皆自分の仕事に手一杯なんですから。
優秀な人間を集めればと思っている人もいるみたいですが、それは間違いですね。第一に、優秀な人間ほど扱いにくい人種はいませんから。なぜなら、彼等こそ自分の欠点や弱点を認めようとしない。彼等の大多数はナルティストとですよ。欠点など言おうものなら、逆鱗に触れる。人が自分より優秀だと思うとその人間に猛然と敵意を持つ。
第二に、そんな人間は居ないという事です。十中八九は、言わなければできない、言ってもやらない人間です。できない理由、やらない理由は、根本は、やりたくてもできないからで、要はそれを認めたくないという事です。
他を圧倒するものを持ちながら、同時に、滑稽なほど駄目な部分がある。そういう人間は、リーダーになれる資格があると思っています。
それに僕らは、そういうように躾けられました。自分を隠すなと…。
先ずとことん、自分の限界や弱点を見せつけられた。その上で基本をみっちり仕込まれたんです。今、それをしようとしたら即パワハラ、セクハラですよ。
ぼくだってADHDかもしれません。でもそんなことどうでもいいじゃないですか。そんなのレッテルであり、自分が前向きになれない言い訳ですよ。僕は、お前ほど頭がいい人間にあったことないと仲間に言われた事があります。でも成績は悪かったしポン大に二浪もしてやっと滑り込んだ。だからどうだっていうんです。僕は、それが僕の長所であり、個性だと思っていますから、それを生かす事しか考えない。
劣等感なんて生産性のない事をいくら考えても悩んでも無駄なだけです。それで弱点や欠点がなくなればいいですよ。いくら悩んだところで悪くなる事はあってもよくなる事はない。悪感情なんて非生産的な感情は持たない、僕はそういう性分なんです。だから、「おしん」なんて見てられないんです。昼ドラも僕にとっては、いらないんですね。
大切なのは、事実ですよ。やらなければならないならできるかできないかなんて考えない。できるところから始めればいいだけです。後は最善を尽くすだけ。死ぬ気でかかるしかないでしょ。やらなければならない事ならば…。途中で投げ出すわけにはいかないですよ。結果は、結果です。甘んじ受け入れるしかない。できない事はできないのですから。僕はそうやって五十年間生きてきた。
五十年間生きてきて、お前まだ生きているじゃないかって、ここまでやってこれたじゃないかって、でもまだまだですね。
先ず常に自分を直視できないとね。長所も短所になるし、短所も長所になる。弱点が強みになる事もあれば、強みが弱点となる事もある。心持一つですよ。
残念ながら、年齢を重ねるともにですねできなくなることが増えてくるんです。
その事実を虚心坦懐に受け止められなければ、自分を生かす事はできないんですよね。
僕は、最近、痛感しています。人生はやり直しがきかない。やり直したければ、まず、自分の過ち、欠点を受け入れなければ…。他人の性にしたところで、何にもならないのです。
先ず、自分に何ができるかを考えるべきです。
世の中が悪いと、学校が悪いというのならば、それに変わるものを示せなければと。先輩たちは、それが共産主義だと言っていましたが、僕は、それを信じる事が出来なかった。
だから、新しい思想を自分で作るしか道はなかったんです。
やると言ったら、やる。それが僕の生きる道です。
結局、自分の問題なんですよ。僕だって自分の欠点や弱点、失敗やミスを認めたくないし、受け入れたくない。今でも葛藤している。
その一番の相手は、きっと息子ですね。息子の自分より優れている部分を受け入れがたい部分があるのは確かですからね。僕は、息子にかなわない部分は、認めているんですよ。ただ、息子が自分を頑なに認めようとしないところはきっと自分の何かがそうさせているんでしょうね。
何が自分を苦しめるのかと言えば、自分の弱点、欠点、短所、もっとはっきり言えば、自分の過ちや、間違いですね。頭でわかっていても受け入れがたい。最後まで苦しみますよ。
大概の人は、頭ではわかっているんです。でも、本心から納得しているわけではない。だから感情的にもなるし、精神も病む。わかっているんですよ。でも受け入れる事が出来ない。許せないんですね。だから、部下の問題でもあるけれど上司の問題でもあるんですね。部下だけが悪いわけではない。
誰しもがですね。自分の欠点や短所、弱点を認め受け入れなければ少なくとも社会生活ができない。それは、頭ではわかっている。でも、心が受け付けないんです。頭ではわかっている。でも心底から受け入れる事が出来ない。
それが自分を苦しめ続けているというのが僕にはわかるのです。他人を許す事は、難しい。しかし、それより難しいのは、自分を許す事だ。自分で自分を許す事が出来た時、はじめて自分を解放する事が出来る。
僕だってできないですよ。部下や後輩、息子と話をしていてもムラムラと俺だって負けないぞって思う心がある。己の限界を受け入れ、相手を尊重しながら互いを高めるような議論が出来ればいいんですがね。まだまだ未熟なんですよ。
だから、いつもああ未熟だなと落ち込むんです。それで僕は、神といつも対峙するようにしているのです。
僕は、何かの宗教を興すとか、哲学者として名を残す。功績を遺すなんてことを望んでいるわけではないんですね。いうなれば、救済ですね。魂の救済を求めているだけなんです。でなければ救われないじゃないですか。神なき世のなのですから。


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