先 生 へ
先生へ

基本と常識に忠実に


我々は、基本を重視するように躾けられてきた。
それは、礼儀作法の根本でもある。
応用ばかりに気をとられて基本を疎かにしたら、技術は身につかないと口酸っぱく教えられたものである。

ところが社会を混乱させ、日本の伝統を破壊しようとする勢力は、常識に囚われないようにと言う事を口実にして基本や常識を蔑ろにするようにそそのかす。
それが学校教育の根幹にも浸透しつつある。怖い事である。

基本が崩れたら真っ先に潰されるのは先生である。
だから、心ある先生は、基本に忠実に、又、常識を育てようと努力したのである。
基本に厳格な先生達は形式主義とか、封建的だとか言って学校内部で阻害され、排斥されてきたのである。それが学校を、学級を荒廃させた。

人は、自分の意思の伝達を言葉だけでするわけではない。
言葉は、意思伝達の一手段に過ぎない。
ただ言葉には威力がある。故に言葉に囚われると真意は伝わらなくなる。

人は形を見ている。
基本は形にある。基本は形として現れる。

人は、多くの情報を形によって得ている。
故に、象徴的な事柄は重要なのである。
人を物事の道理を理屈だけで理解しているわけではない。

形の働きには、位置や順番が重要な働きをしている。
上座に位置すれば、集団を先頭で仕切る事ができるし、下座から見ると集団の裏の動きが見える。中心に位置すれば、内部の情報を集める事ができる。手段の外に位置すれば、全体の動きが見えてくる。
ここの目的に応じて先生は、自分の位置を主導権を持って決める必要がある。
それが先生の立場を固めるからである。
生徒の自主性を導き出す事を目的としたら、敢えて自分が下座に位置したり、外から生徒を指導する事も有効である。ただその場合は、自分の立ち位置が生徒にどの様な影響を与えるかをよく熟知していなければ生徒が暴走した時制御する事ができなくなる。
かといって上から押さえつけるだけでは、生徒は言う事を聞かない。
また、自分の立ち位置を曖昧にすると生徒達の攻撃を真っ向から受ける事になる。なぜならば、先生の立場が曖昧だと生徒は自分の位置が定まらないからである。

いずれにしても形の働きを理解しておく必要がある。

先生にとって自分の位置づけというのは重要な意味をもつ。

会議のレイアウトは、会議の基底を支配している。会議が上手くまとまらないのは、会議のレイアウトに原因する場合が多い。会議のレイアウトは、会議の目的に応じて変える必要がある。

座る席など自由にしていれば、自然と人と人との位置関係、力関係が露骨になる。
どの位置を占めるかは、その人が集団における位置や力を如実に示すからである。

中心というよう言葉示す様に中心に位置する場所を抑える事が先ず衆をまとめようとした場合鍵となる。

旗のような象徴は重要である。
旗頭という言葉があるくらいである。旗本という言葉もある。つまり、大将、中心的指導者がどこにいるかは、組織を統制する意味にとって重要な意味がある。

又、最初と最後のにする行為にも象徴的な意味がある。
故に、指導をする時には、誰が話の口火を切るのか。落としどころは誰にするのかが重要な要点を握っていると言える。

以前は、席次をどうするのか五月蠅かったが今は何でもかんでも無礼講である。
その為に、多くの宴会や寄り合いが統制を失い、収拾がつかない状態にしている。しかし、主催者の多くは、その原因がつかめないでいる。

革命勢力、教育によって革命的状況、騒乱状態を引き起こそうとする勢力は、常識とか形式を認めようとしない。
しかし、そういう勢力に限って形式とかの常識の働きの重要性をよく理解している。理解しているからこそ形式や常識を否定するのである。
なぜならば、彼等の目的は、革命的状態、即ち、秩序を失い統制が効かなくなった状態を作り出そうとしているからである。その意味では、学級は、彼等の目的を達成した状態なのかもしれない。常軌を失い混乱した状態こそ彼等の望む状態なのである。

生徒の集団は、基本的に荒馬なのである。しっかりと手綱を占め、鞍に乗っていないと振り落とされる。彼等は、どう猛なのである。油断をしたら、先生に襲いかかってくる。
しかし、しっかりと手綱を締めて乗りこなせば、従順にもなる。その点を忘れてはならない。

最近は、安易に常識だの形式だのを軽視する風潮がある。又、マスメディアもそれを増長、煽る傾向があるが、一度無秩序になった集団に秩序を持たせるのは容易ではない。
彼等は、彼等の別の目的がある。

マスコミの挑発に乗って事件を起こしてもマスコミが責任を持ってくれるわけではない。かえって彼等の批判を浴びるだけである。彼等は一種のマッチポンプである。人々を煽る事で「金」を儲け、挑発に乗った者が犯した事件によって「お金」を儲けているのである。軽々しく挑発に乗るのは愚か者のすることである。





教育とは単純反復、繰り返しである
形式主義
形に学ぶ。形を学ぶ。形で学ぶ。
形を重んじる。
形について
物事には、順序
事前の準備
組織的意志決定


        content         

ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2016.3.19 Keiichirou Koyano