教育の理想を求めて

仕事を覚える。仕事に学ぶ。



今の学校教育では、勉強のできる子は、育てても、仕事はできる子を育てることはできない。
仕事ができる子というのは、仕事の全体像を捉えられ実際に一つの仕事を最初から最後まで一貫してやり抜いた経験のあるものである。

一つの仕事を最初から最後までやり抜くのに一定の期間がある。故に、仕事、作業には、始まりがあり、終わりがある。仕事は、作業の集合である。仕事は、作業の連鎖である。
そして、作業には、順序がある。個々の作業にも始まりと終わりがある。
故に、仕事には、作業の手順・段取りがあり、この手順・段取りは、一連の作業を一貫して仕事をやり抜いた時、身につける事ができる。つまり、仕事は経験を積み重ねる事で修得する事なのである。
仕事は体得するのである。

仕事は理屈で考えるのではなく、実践で考える。頭ではなく、体を使って考える。
単位作業数は半端なく膨大な数に上るから経験的に身につけていかないと最後までたどり着けない。

体で考える事を覚えないと間違いなく迷路に迷い込む。
体で考えるというのは、目、口、耳、五感の全て、更に手足を使って考える。報告を聞く、報告書を書く、報告書を見る、報告書を書かせる。この様な経験を積むことで学習していく。
仕事とはいわば修行である。座学だけでは習得できない。

仕事は実践的な事であるから結果は、目に見える形として現れる。誤魔化す事が出来ないのである。

頭で考える者の中には、体を使って考える者を馬鹿にする者がいるが、体を使うというのは、全身で考える事を意味するので、頭だけを使っている者に馬鹿にされる謂れはない。

頭の悪い奴ほど仕事を頭で考えようとする。

理屈が悪いというのではない。理屈だけをこねくり回すのが悪いのである。仕事というのは、単に知識や理屈だけでなく、実際の作業、行為、行動、動作が伴い、その結果が明確に形として現れる。一つひとつの作業は、決断が伴い。作業は、結果が出る。

仕事の話は、単純で誰にでもわかる事にしなければならない。組織には、ベテランや、専門家もいれば、何もわからない、初心者や未熟な者もいるのである。専門用語や経験者でなければわからない言葉を多用する者がいるが、そういう人間は何もわかっていないのである。

仕事は論理的なのである。一つひとつの文節は、万人が合意する命題を積み重ねる事で仕事は成り立っている。仕事における命題は、作業である。作業は、目的、方針、前提、時間、人(作業員)、場所、動作(行為)、対象等の複数の要素から成り立っている。
これらの要件は、複数の人間が共有できるものでなければ共同作業は成り立たない。それ故に、具体的かつ明快な事でなければならない。
つまり、一般的に理解できる事象でなければならない。

上申する時や報告する時は、相手が理解できるようにするのが礼儀である。
相手が理解できないような事を話してシャアシャアとしているのは馬鹿にした話である。わかるように説明する。決断を求めるのならば決断できるようにする。連絡します。確認しますというなら口頭で報告するのか、文書で報告するのか、電話で報告するのか。確認するのは、記録で確認するか、現地に言って確認するのか、聞いて確認するのか、そこが聞きたいのにのに、報告します、確認しますでは返事になっていない。その点に気が付かない。
相手が何を聞きたいのかを察知しなければ適切な返事はできないのである。

やらなくていい口実を与えてはならない。
最初からできない事を指示する事は、相手にやらない口実を与えるような事である。
物理的に、時間的に、能力的に実現する事が不可能な事柄は、やらない口実となる。

物理的、時間的にできない事は、明らかである。
問題は、能力である。能力には個体差がある。能力は人によって違うのである。
できる人は言わなくてもできると思い込んでいる。
できない者は言ってもできない。
まず相手ができる事から確実にやらせることを考えなければならない。

言われた事を言われたとおりにするのが基本である。

とにかく言われたことを言われたようにやる。決めた事を決めたとおりする。それができなければチームワークは乱れ、下手をするとチームや仕事全体が崩壊する。

言われたことを言われたとおりにしてはならないといった指導が今の学校では励行されている。
いわく、常識にはとらわれるなとか、人と違った事をしろとか、1+1は必ずしも2ではないとか、なんとか指導をする。常識にとらわれるなと、指導したら常識にとらわれない子が育つのが道理である。それで最近の若い子は常識がないなんてよく言えるものである。
基本は基本。基本をしっかり教えておかないで、1+1は2ではないなんて教えたら、非どもは混乱するばかりである。常識は常識なのである。常識のない人間に常識にとらわれるななど教えても意味がない。

仕事には、鮮度がある。仕事はやりっ放しで、放置したりするとすぐに鮮度が失われ、陳腐化してしまう。これは情報にも言える。
仕事は、ある意味で作業の連鎖反応なのである。

作業というの膨大な数に上るから基本を形で覚えておく必要がある。
スポーツは、いちいちその時点その曲面で考えていたらとっさの判断はできない。
また、その都度その都度違う形で仕事をされたら、指導者は部下の、部下は指導者の考えを理解することができなくなる。
形を全体で共有する必要があり、それ故にまた形が重要なのである。
基本を形で覚えさせることがチームワークの肝心要なのである。

形とは、要するに業務上の論理の組み立て、構成、すなわち、業務上のアルゴリズムの問題、段取り、手順、手続き、組織等の問題なのである。

仕事を学ぶためには、自分なりの形、全体の形を作ることが肝要なのである。

例えば、作業リストを作る。作業リストから作業をいくつかのグループに分類し、仕分ける。それに基づいて分担表を作る。さらに、工程表を作り、日時を付けて日程表に書き換える。そこから自分に必要な要点を手帳に書き写す。こういったら段取りを実際の仕事をしながら身につけていくのである。
作業リストをマスターテーブルにする。
作業リストの項目は、まず頭にaA次に作業名、大分類、中分類、小分類、詳細。担当者、責任者、報告先、関連部署。打ち合わせ日、開始日、終了日、報告日、備考欄ぐらいかな。
大項目は、例えば企画、準備、実施、後処理といった項目を目的に応じて設定する。
中項目は、事業計画、契約、システム、販売計画、後方処理関係くらいかな。
小項目は、広告、展示会等。広告は、チラシ、テレビ、新聞、インターネットなど更に噛み砕く。

ナンバリングなんかは、最初は意味を持たせない方がいい。
作業が思い付いた時にどんどん追加登録をした方がいいからである。
そのためには、登録日の項目を付け加えておいた方がいいかもしれない。
ナンバリングはある程度全体が整理された段階で追加的に書き加える事になる。また、個々の項目ごとのナンバー、コードも出てくる。

全てのリストは、基本的にテータテーブルの形式をとらせる。安易なセル結合はさせない。

マスタープラン、すなわち、作業リストの基盤は、事業計画で制御統制する。故に、全ての作業に事業計画の作成計画を優先する。

仕事は、立体的に考えなければいけない。
立体的に考えるためにも形が重要となる。
形というのは、局面局面の静的な形と、一定の過程の形、動的形である。簿記でいえば、期間損益と貸借である。

例えば一回一回の打ち合わせの形です。
そして、仕事のパーツの形です。
一回一回の打ち合わせの形とは、目的・日時・場所・責任者・事務方・議長・書記、これが外形的形、それに対して、前回の確認、今回の結論、次回の予定、そして、次回までにやっていおく事、用意する物というのが内部の形である。
仕事を組み立てる部分の形は、例えば始点、分岐点、結合点、終点からなります。
これを今回のイベントと次回イベントとの間にはめ込むのである。
仕事には一連の形がある。局面局面の形がある。それを作り、また、覚えるのである。
ただ、これだけでは点と線を結ぶ仕事になってしまう。そのために枠組みが必要となる。
枠組みができたら、段取りと手順、つまり、一連の作業をその枠組みにはめ込むことを覚えるのである。

この様な事を実際の仕事を通じて仕込んでいく。それが教育である。




教育は単純反復繰り返しである。


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