理想的教育を求めて


男女同権


この世で一番崇高な仕事は何か。
それは、出産と育児である。
それを忘れたら男女同権のそこにある真の意味を理解することは出来ない。

男と女は違う。その事実から目を背けるのは愚かである。
女性の仕事とされた仕事を正しく認めることが先決である。
その上での男女平等である。
女性の仕事を認めることなくして、男女同権をいうのは筋違いである。

無論、根拠なく女性を差別することは恥ずべき事である。

男と女の関係を問うことは、自ずと家族という単位をどう考えるかにある。
男女同権論の背後に、家族という単位を真っ向から否定してしまう危険性があることを忘れてはならない。
仕事を単に、所得所得の有無に結び付けて考えると男と女の仕事の意義が見失われてしまう。

男女同権問題の本質は家族の在り方にある。
それは、消費労働や消費経済の確立にある。
現代人は、経済や労働の意義を生産にのみ見出す。
しかし、経済は、生産と消費の両輪に支えられている。その両輪の軸となるのが分配であり、分配の一手段が貨幣である。
ただ、生産のみを尊しとし、消費や分配を賤しめていることに現代経済の問題点がある。

そして、手段である「お金」がいつの間にか主となり「お金」に換算されない労働を正当に評価できなくなったところに、現代経済の病巣があるのである。

かつては、「お金」に換算されない労働や仕事に価値を見出していた時代もある。むしろ、「お金」に変えられないからこそ尊いのだという思想が一般的だった。そこに、道徳や倫理の根源があった。
今は、「お金」が全てである。どんなに良質の書物でも、売れなければ、評価されないし、逆に低俗な書物でも売れさえすれば高く評価される。
不道徳な映画でもヒットすれば、是とされる。
要するに、今日の価値観は、「お金」が全てなのである。

だから、本来、家事、家内の仕事として尊ばれた仕事も「お金」にならないと蔑まれるのである。

女性は、古来太陽だった。
母は、経済や社会の中心なのである。
戦場で兵士は、死に臨んで「お母さん。」と呼び。
愛する女の名を叫んで死んでいったのである。
そこには、家族制度に対する思想が隠されている。
経済社会の中心に女性は位置していたのである。

母親は、家庭の中で尊敬されていたし、また、社会からも保護されてきた。
必ずしも、隷従していただけではないのである。
否定的側面ばかり強調するのは片手落ちである。
外で稼いでくる「お金」が主となったことでかえって女性の地位が低下したという側面があることを見落としてはならない。

女には、女の立場がある。
女の立場がなくなれば、男女平等なんて絵空事である。

ある意味で、男と女が住み分け分業をしてきたのである。
その中で、男の仕事ばかりが不当に高く評価され、女性の仕事が低く見られてきたと言うことは否めない。
しかし、だからといって女性がになってきた仕事を全否定したら、首魁は成り立たないのである。男の仕事も女の仕事も世界を支える日本の柱なのである。
それを考えずして男女平等はあり得ない。
違いを認めて始めて平等関係は成り立つ。
違いを無視したら、平等はあり得ないのである。

家というものをどう捉えるのか、家の中で女性の地位がどうあるべきなのか。
社会と家との関係は、どうあるべきなのか。
その問題を蔑ろにしたら、真の男女平等はあり得ない。
女性で問題なのは、社会でも、家庭でも、女性が隷属的な扱いを受けていることである。
ただ、全ての社会で、女性が隷属的だったわけではない。
女性を中心とした社会、家庭の存在もあるのである。

女性の社会的、家庭的役割を無視したら、結果的に、男女平等論が、女性の男性同化論に変質してしまう危険性がある。
ユニセックス化することが、男女平等論の本来の目的ではないはずである。
男と女を同じ扱いにすれば片付くと言うほど、単純な問題ではない。

これまで女の仕事とされてきた働きを認めなければ、男がしてきた仕事だけの世界になる。それは、男性に女性がどうかすることを意味している。男がしてきた仕事のみが有意義だと女は言うのか。
女性を女性としていかに地位を向上させるかが、男女同権の真の目的である。
一つ間違うと、男女同権論は、女性蔑視に結びつく危険性があることを忘れてはならない。

一つの大前提は、男と女は違うという事実である。

女性の持つ本当の良さを認め、引き出すことこそ男女同権の真の目的なのである。





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