暴力について


暴力は悪いというけれど・・・。



 最近、暴力や体罰が問題となっている。
 暴力は、悪い。暴力は悪いと単純に決めつけて、最初に暴力ありきの議論が横行しているように思われる。それは、反戦、暴力反対の延長線上にあるように思えてならない。
 何が何でも暴力は悪いと無条件に決めつけられるほど、世の中は単純ではない。
 大体、暴力というのは、受け取りかた、認識の問題である。
 何をもって暴力とするのか。まずそのことを明らかにしていない。
 当事者の監督は、自分は、暴力として認識していなかったと発言している。
 暴力と認定としている根拠は、告発文にのみ基づいているといわれている。
 マスコミの多くは、その事実の是非を問題とせずに、監督個人の人格の問題すり替えて、ひたすらに監督個人を糾弾しているように思える。考えようによっては、それこそマスコミの暴力である。
 暴力をキッチンと定義しないままに、暴力という言葉を各々が勝手に解釈し、その上で議論を勝手に進めている。これでは議論がかみ合うはずがない。
 暴力というのは、行為のみを指して言うわけではない。動機や状況、ルールといった前提条件も重要な意味を持つ。
 スポーツというのは、競技であり、柔道は格闘技である。殴ることをただ暴力とするのならば、ボクシングなど即刻やめることである。
 事実確認もしないままに、報道機関が、てんでんバラバラに報道をするために、海外にも暴力という言葉だけが裏付けもないまま伝えられてしまっている。
 そのために、暴力という言葉が一人歩きし、諸外国に受け止められているようにも思える。確かに、暴力は悪い。しかし、暴力を悪いとした場合、その暴力はどのような尺度、定義に基づいていわれているのかを確認する必要がある。
 欧米の反応をことさらに報道するが、問題は、情報をどのようにして、どのように伝えたかが問題なのである。暴力という事をどのように翻訳したかも解らない。また、言葉以前に事実関係をどのように発信するかによっても受け取り方は違ってくる。そのような検証もされないままに、ただ、欧米のニュースを鵜呑みにしても意味がない。
 周囲の国の人間の目ばかりを気にして、報道者としての主体性が見受けられない。
 それに、ことさらに諸外国の反応を気にするならば、なぜ、それほど諸外国の反応を気にとめなければならないのか、欧米のニュースを伝える者の意図も明らかにすべきである。皆が正しいとするから、正しいのだろうというのではあまりに情けない。
 現代の日本のメディアは、自分たちの思想、信条があたかも日本の常識のような前提に立って議論を進める傾向がある。
 自分たちは、中立、公正であることを前提として、自分たちの思想、信条を明らかにしようとしていない。しかし、言論の世界に中立や純粋に客観的立場などというのはあり得ないのである。
 公正な立場を強調するならば自分の思想信条、少なくとも、自分の考え方を事前に明らかにする努力をすべきなのである。
 暴力的体質は、日本固有の問題のように言い立てるのは、自虐史観のような日本のマスコミの固有体質であるように思える。
 スポーツと暴力は紙一重の関係にあり、暴力沙汰は、どの国にも、どのスポーツにもある。サッカーは、そのために、イェローカードや、レッドカードの制度があるのであり、過激なサポーターは、下手をすると暴動に発展しかねない危険性すらはらんでいる。野球だって、乱闘騒ぎは日常茶飯事である。
 だからこそ、スポーツは、ルールを定め、審判を置くのである。
 問題があるとしたら、中立的な第三者機関を審判役にしてなかったことである。それは、仕組みの問題であって体質の問題ではない。仕組みの問題を体質の問題に置き換えて、当事者達を陰湿に糾弾することこそいじめ体質だといわれても仕方がない。



 今の学校教育では、暴力をふるったら、無条件で暴力をふるった方が悪いことになる。
 これって、極端な無抵抗主義ですよね。
 幼児というのは、まだ、未熟だから、何かあるとすぐ泣く。転んだだけで泣く。泣いた時、側にいた子やちょっとぶつかった子があたかも故意に暴力をふるったように見えることもある。
 ちゃんと状況を確認して何が原因なのかを正しく認識しておく必要がある。
 それを泣いた子がいるのだからおまえが悪いと最初から決めつけたら、叱られた子も納得しない。ただも何も悪い事してないのに叱られたという思いだけが残る。
 こうなると、理屈なんて、また、価値観なんてどこかに吹っ飛んでしまう。
 泣くと泣かした方が無条件に悪いと決めつけて叱る。
 そうすると泣けば、何でも許されるという事になり、誰も暴力もふるっていないのに、泣けばいいとなる。
 相手を侮辱しようが、馬鹿にしようが相手が手を上げただですぐ泣くようになる。
 そして、すぐに先生を呼んで、自分がどんなに悪さをしても相手の性にするようになる。
 侮辱されたり、馬鹿にされた方は、自尊心なんて守れなくなり、臆病になる。
 泣けば何でも正しいことになる。正しいことにしてしまう。
 こういうことって教育的なんでしょうかね。

 こういう考え方の根底に、非武装中立論が見え隠れします。
 暴力は悪いという事には、正当防衛なんて思想はかけらもない。
 相手がどんな理不尽な要求を突きつけても暴力はふるってはならないというのが根本思想で、自衛隊員が丸腰で戦場へ行けという発想と同根ですよね。

 どこかの著名な評論家や小説家が、他国が侵略してきたら、家族を捨てて無条件で逃げ出すとテレビで公言していた。
 いわゆる焼け跡派といわれる連中だけど・・・。
 明らかに負け犬根性ですよね。
 そういう連中に限って自分たちが守られているという事に気がついていない。
 また、自分たちこそ、奴隷根性だという事を自覚していない。
 暴漢に襲われたら、大声を出せば相手は逃げ出すと思い込んでいる。



        content         



ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2013.2.2 Keiichirou Koyano

教   育