陰謀史観


陰謀史観



 周期的に陰謀論は、波のように世の中に沸き上がってくる。
 特に、景気が悪くなると何者かが背後で世の中を操っている妄想がそこかしこに流行る傾向がある。
 それが、真夏の怪奇話の類ならば、見過ごすことが出来るが、時として、世の中を動かす程の勢いをもって語られ始めると見過ごすことが出来なくなる。

 陰謀は、どこにでもある。国家だけでなく、権力闘争のあるところならば、村や町にも、企業や学校にも、家庭にもある。
 つまり、陰謀は、権力闘争の一手段なのである。権力闘争をあからさまにすれば、策略とされ、影でやれば陰謀となる。陰謀が嫌われる理由のは、陰でコソコソやると言う陰湿なイメージと、裏をかくような卑劣さが感じられるからだと思われる。
 しかし、表でやろうが裏でやろうがやっていることに変わりがあるわけではない。表でやるから正々堂々としているという程度である。
 明治維新だって戦国乱世だって陰謀が渦巻いていた。考えようによっては、西郷や高杉晋作、坂本龍馬がやったことも陰謀と言えば陰謀である。
 勝てば官軍という言葉があるが、明治維新が成されなければ、ただ、反逆者、謀反人、無頼の輩と言われても仕方がない。

 国家の独立を護ると言う事は、戦いなのである。そこには、国家、国民の存亡を賭けた非情な論理しかない。

 反日、反日と騒ぐけれど、反撥されるのは、日本にかぎた事ではない。反米だって、反英だって、反仏だって、反露だって、反中、反韓だってある。
 大体、ユダヤ人は、反ユダヤの環境の中で戦ってきたのである。それも国も持たずにである。

 日本人は、陰謀というとすぐにユダヤだとか、フリーメーソンなどを思い浮かべるが、日本人だって常に疑られているのである。

 冷静になれば、一つの国や民族が陰謀を企み、一致協力して実行するのは、考えにくい。 一個人の妄想が陰謀を引き起こすことはあり得る。だから、独裁者や君主国は危ういとされるのである。独裁者や君主の妄想は、時には、戦争に発展することにもなる。

 陰謀というのならば、国家の成す陰謀の方が余程、現実的である。
 第一に、日本は、明石大佐がロシアに行った工作がある。明石大佐の工作は、明らかに、日本国による陰謀と言える。その後の日本軍が中国大陸で行った行為は、陰謀に充ちている。

 問題となるのは、陰謀論に踊らされることである。

 陰謀史観そのものが何等かの機関によるプロパガンダである可能性だってある。

 陰謀論だの、陰謀史観が流される背景や意図が問題なのである。
 誰が、何の目的で陰謀論や陰謀史観を流すのか。
 むしろ、その背景にある者の意図や目的の方が、危険なのである。







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