教育の理想を求めて

基本を身につける



何事も一旦一つの仕事が終わってから次に何をするかを考える。
仕事の前後左右、全体像をつかみきっていない。だから、何をやっても取りとりとめもなく、やればやるほどまとまりがなくなっていってしまう。
最後には、自分が一体何をやっているのか、どこにいるのかもわからなくなる。

野球でも捕球してから次にどのような動作をすべきかを考えているようでは、試合には出れない。そのような者は、捕球した後考え出すようではパニック状態に陥ってボールをどこにも投げられなくなるか、あらぬ方向に投げてしまうのが落ちです。
では、全ての行為、一回の表一番バッターの三球目に直球が来るから、それをヒットして一塁に行き、それをバントで送るなんてところまで読めと言っているわけでもありません。一人仕事が長い人間は、この点がよくわかっていない人が結構います。
三球目を打ちなさいと言わないとバット一つ触れないなんて異常な状態に組織が陥っている事に気が付かないでいるのです。
ノーアウトで一塁に出塁した。次の局面、どの様な手を打つか。単独で盗塁するか、バントで送るか、それともヒットエンドランをするのか、それとも単に打たせるか。いずれにしても監督の指示通りの事が出来るように訓練し、練習する。つまり、盗塁なら盗塁、ヒットエンドランならヒットエンドランができる状態にする事が準備する事なのです。
準備という意味すら分からなくなったから、準備する事が出来なくなってしまった。わかっているよ、うるさいなと言いながら実際には何もわかっていない。でもわからないという事が言えない。そういう状態でズルズルと日がたっているというのが実態です。
これも学校教育の弊害ですね。

とりあえず項目だけでも上げる事ですね。そうすれば枠組みができてくるから。その上で目処を打つ。目処と言うのは、今日中いに方針だけでも決めておくかとか、年内に結論を出さないと話しできないぞと言った、一つの目標なり、目安を決める事、尻を採る事である。そうすれば大枠が決まる。
制度や組織、予算などを構築するいというのは、目に見えない建物を一年、二年かけて共同で作る事ですから、段取りをしっかり立てて工程をある程度頭に入れていないとあっという間に彷徨う事になる。実際に、細かいところが見えてくるのは、工事が最終段階に入ってきてからですから、最初から細部に囚われていたら後までたどり着くことはできない。始末が悪い事に、制度や組織、予算と言うのは、無形な構造物なのです。


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