教育の理想を求めて

ボスになれない世代


私は、人間も動物だと言っています。
それも群れを作る動物です。
群れを作る動物は、基本的にボスがいなければ統率できない。
そして、ボスは基本的に群れに一人です。
これは人間の世界も同じです。
古来、君主は、国に一人。その君主の座を狙って血で血を洗う争いをしてきた。
ボスの一番の仕事はテリトリーを守る事である。
それは今日でも変わらない。

群れ、組織のリーダーは一人でなければならない。
そして、リーダーはリーダーとしてふるまう事が求められる。
それは、群れの中で誰がリーダーであるかをハッキリさせるためです。
これは動物も人間も変わらない。

そして、リーダー、つまり、ボスは、他の者に同じ振る舞いをすることは許さない。ボスの同じ振る舞いをすることは命懸けであり、時には、群れから追い出されてしまう。
ボスと同じ振る舞いをしたらボスはすぐに牙をむいて襲い掛かる。

我々の後輩は、ボスとしての振る舞いを教わる事もすることも徹底的に赦されなかった。それは段階の世代が許さなかったからです。今の政治の世界を見ればわかる。

兎に角ボスと同じ振る舞いをしたら、見つかったらすぐに襲い掛かられ、徹底的にたたかれ、のけ者にされ、最期は、追放された。
そういう仕打ちをされ続けた我々の後輩は、ボスとしての振る舞い、リーダーとして姿勢をとること自体を怖れ、してはならないと洗脳されてしまったようである。

動物では、ボスは、自分の力で勝ち取る。戦いとるもので、実力のない者がボスの座にいる事は許されない。老いて衰えたボスは、若く実力のある者に取って代わられるのが掟なのです。

それが人間界でも本来同じなのです。

野生の世界では、リーダーは、勝ち取るものであって与えられるものではなく、群れにおいてリーダーでない者は居場所がないのです。
人は、リーダーたらんとし、リーダーとしても振る舞いを学ばなければなりません。
ただ、老いたリーダーも敬意をもってそれなりの居場所を作る。それが人間の社会なのだと思います。



ボスは、自分のためにだけ生きてはいけない存在ですね。
ボスは、群れを守るために、献身的な努力をしなければならない。
群れに属する者は、ボスが自分たちを危険な事から守り、進むべき道を示してくれると信じているから従うんですね。
危険な事というのは外敵や飢餓、災害ですね。
だから、群れに属する者は、ボスに従うし、ボスを守ろうとする。
ボスは、全体を守り、メンバーは、中心にいるボスを守る。
この求心力が働くことで群れは維持されるんですね。
求心力がなくなれば、群れは解体していく。
その一番の原因は、ボスが全体を意識しなくなった時ですよね。
中心は一つでなければならない。
だからボスが二人出れば群れは二つに割れてしまうんです。


ボスとメンバーには、守り守られるという関係、絆が必要なのである。

帝王学はないなんて言いますが、帝王学はあります。
民主主義といっても組織を運用するための技術というのは学ばなければならない。
そして、指導者は、指導者としての心構え、姿勢を学ばなければならない。
指導者には、全体を守るという使命があるのです。


自分の後輩たちは、形を作るとか、形を整えるという事が出来ません。
極端に形を嫌うか、頭から否定するように植え付けられています。
団塊の世代やそれ以前の学園闘争世代、焼け跡派が自分の贖罪のために、過去の伝統や歴史というものを抹消しようとした。
その中に、伝統的な礼節や形というものが含まれていました。
礼は形にあります。

なぜ、形が重要かと言いますと人間は動物だからです。
そして、人間同士のコミュニケーションの手段は、言葉だけではない。言葉だけに頼っていたら限界があるからです。
逆に、言葉の通じない相手でも身振り手振りで自分の意志を伝えようと思えば伝えられます。

だから、形が大切なのです。形で、全体を抑え、統御する。それは、指導者が真っ先に覚えなければならない事で、民主主義のように全体の意志を重んじる社会では特に求められる。ところが、民主主義は形式を重んじていないがごとき洗脳をされてしまった。今でもそうですけれど、サミットで誰が議長国の隣に座るか、集合写真の中央をどの国が占めるかは、主要な事です。それがわかっていないから日本人はいつも末席に座らされるようになる。

形がわかっていない。部門長は部門を代表し、部門を統率する必要がある。
自分から進んで物事を決め率先して物事を処理する形を作らないと部下に説明がつかなくなる。いい結果であろうと、悪い結果であろうと部下や民衆に対していかに説明をするかを意識していないとリーダーシップは発揮できない。
よく言われたのは、レーニンは、革命が起きたと聞いた時、書斎にこもったか、それとも民衆の前に立って演説したかという事です。
逆境に立った時、苦境であればあるほど、指導者は、元気な姿を皆の前にさらす必要がある。それを地で行ったのが毛沢東であり、プーチンです。
リーダーが逃げ腰たりだったり、他人事だったらどうやって部下を説得するのか。理解に苦しみます。


先日も幹部を大きな声で故意に叱責したらそんな大きな声を出されたら皆も動揺するし、冷静にと言うから、あほかお前はと叱っておきました。トップに立つ者は、不祥事があれば、新聞記者をはじめ大勢の関係者の前で喚かれ、どやされても冷静に対処しなければならない。災害や事故が発生したら考える時間なんて与えられない。
我々は、耳元で常にどやされながら精神を鍛えられてきた者です。
そういった心構え、形がわかっていない。
困ったものです。



戦後の日本人は、意図的にか思想というものを避けてきたか、あるいは、借物の左翼思想、自由主義のいずれかに偏ってきた気がします。
思想や哲学の本道を外してきた。

ですから、真正面に思想統一というのができない。
なんか超人的なものになりやすい。

そうではなくて日常的な判断のベクトルを合わせるような思想ですね。
たとえば、象徴とは何かとか、組織とは何か、統制とか、上下関係とか、権威とか、礼節とか、権力、規則・規律、法と言った事をキチンと教わらずに頭から否定するか、敬して遠ざけるという姿勢ですね。

歴史、伝統、名誉、何のために生き目のか、国とは、そんな事のために、戦前の日本人は命を懸けたのですし、それを守るために大変な犠牲を払ったし、でもその犠牲があったからこそ今日の日本の繁栄がある。

それを蔑ろにすれば当面の困難な問題から逃げる事は出来ますが、長い目で見た時、肝心なものを失っていくことになります。今日の繁栄は続かないでしょう。


我々が若い頃は、親や先輩から早く仕事の形を覚えろ。自分の形を作れと指導されたものです。今は、きちんと形を教えられる指導者もいなくなりました。





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