教育の理想を求めて

本音と建て前


世の中は、仕来り作法と言いった暗黙な決まり事を基礎として成り立っている。
仕来りや作法、行儀を洗練した事が礼である。
礼は一律に決まているわけではない。

組織的に認識し組織的に理解し組織的に決定する。
自分ひとり理解しても組織的には役に立たないし、自分一人では何も決められない。
それが組織である。

正式、公式、非公式、内内、内定、下打ち合わせ、筋を通す、話を通す、立ち話などを使い分けて組織的に仕事を進めた者ですが、これがなかなか理解されなくなりました。
だから、何らかの形で事前承認をとってから交渉ををするという事の大切さが失われ剥きだしの状態で話が進む、トラブルの原因になっていると常々感じます。
ただ、これは、実際に経験しながらその都度その都度体得していかなければならない事です。
この点を話すと専務はいらいらとして感情的になってしまいますね。まだ若いのだと思うのですけれど、頭のいい人だからどこかで理解してくれるとは思うのですが。
なかなか。本音と建て前を使い分けながらという芸当ができなくなりつつあります。

大体、本音と建て前を使い分けること自体を悪い事のように学校では教える。
なぜ、本音と建て前を使い分けてはいけないのか、その根拠すら曖昧である。
根拠をあいまいにしておいて、だから日本人はだめなんだと決めつけてくる。
そういう連中の過半は、日本人は駄目だと最初から決めつけているのである。
どこが日本人は悪いのか。それは本音と建て前を境分けているからだ。
じゃあ本音と建て前を使い分けてはいけないのかと重ねて聞くと、だから日本人は駄目なんだ。
駄目なものは駄目なんだとしか言わない。
それでは、話にならない。

建前は建前、表向きだけれど、本音というのは、実際的な事である。一定の方針が出ていると言ってもその方針に納まらない事もある。やると決めた事でも実際に準備を始めてみるといろいろと障害出てくることもある。時には止めたいと思う事だってある。それを一概に最初に決めた事だから、変更をしたり、中止をしてはならないなんて頭から決めつけたら状況や環境の変化に対応できなくなる。
だから、建前という硬直的な部分と本音という柔軟な部分を使い分ける必要がある。建前は嘘で本音が本心だというのは短絡的である。それは建前と本音の意味や意義を知らない者が勝手そういっているのに過ぎない。



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