家    庭

 家庭は、教育の根っ子にある部分である。家庭は、自己の始源であり、全ての始まりである。また、愛情を育む場でもある。

 家庭は、人間としての生き方の基本を身につける場である。

 家庭は、学校の前段階的空間を担っている。同時に、学習主体の全生涯を通じてその基礎となる部分を成立させている空間、場である。家庭空間の在り方によっては学校教育の在り方、のみならず、一生を通じてその人の生き方を左右するほどの影響を及ぼすのである。

 家庭は、生活の場である。消費の場でもある。基本的な価値観、行動規範、情操を育む場である。家庭空間は、閉鎖的な場である。

 家庭空間、環境は、学習主体の行動規範全般に影響を及ぼす。つまり、学習主体が基礎となる行動規範、価値観を成立させる場である。家庭空間は、直接的に学習主体に働きかけ、行動規範や価値基準を形成するのを促す。家庭空間の力は、愛情や信頼である。

 家庭空間内では、基本的には、母親が教育主体である。特に、育児期や幼児においては、母親の影響力は絶対的な力を発揮する。
 母親の働きを補佐するのが父親であり、それを補助するように、兄弟、姉妹、祖父祖母、叔父叔母といった人間関係が何重にも取り囲んで空間を構成している。
 ただ、教育主体の主客やそれぞれの役割は、そのときそのときの状況や環境、考え方によって入れ替わることもある。それでも、母親の役割というのは、決定的な機能を果たしている。

 家庭空間は、人間として生きていく為に、必要な価値基準、倫理観や道徳観、礼儀を養う場である。躾を誰が担うのかで問題になることがある。ただ、一般的に、躾は、家庭ですべきだというのは、躾が、多分的に私的な部分に担われていると社会的に判断されているからである。ただ、道徳や礼儀は、単に、私的なものだけでなく、公的な部分を多く含んでいる。故に、家庭と学校とが協同して行うべきなのである。

 家庭空間は、閉鎖的な空間である。閉鎖的であると同時に内向的な空間である。それ故に、母子は、孤立的な状況に追い込まれやすい。家族制度が、閉鎖的、内向的性格を補ってきたが、従来の家族制度が崩壊しつつある家庭は空間は、閉鎖性や内向性が強まる傾向にある。

 現在、家庭空間は、危機的状況にある。危機的状況の作り出している原因は、第一に家庭の空洞化である。第二に、家庭内の人間関係の解体、崩壊である。第三に、家庭の外部からの侵入・侵略である。

 女性の社会進出が促進されるに従って家庭空間が空洞化してきている。
 女性の社会進出が悪いというのではない。問題は、その方向性である。女性の社会進出がもっぱら職場の方向に向けられていることに危惧を抱くのである。女性は、社会の方にもっと目を向けるべきである。

 家庭と社会は、密接かつ直接的な関係にある。職場が、生産的な立場から社会に貢献するのと同様に、家庭は、消費的観点から、社会に貢献すべきなのである。今日のように、環境問題や資源問題、教育問題、財政問題が取りざたされるようになると、ますます、家庭からの社会貢献が求められるようになってきている。なぜならば、いずれも、生産的な場の問題ではなく、消費的な場の問題だからである。

 税金問題も増税や消費税といった徴税レベルの問題は、大いにもてはやされるが、使い道、消費レベルの問題はないがしろにされがちである。しかし、今日、我々が抱える問題の多くは、税の使い道の問題なのである。故に、女性の社会進出の方向性は、社会活動の方に向けられるべきなのであり、そうした、家庭からの意見を社会に反映するための組織作りこそが、鍵を握っているのである。
 核家族化や旧家族制度の崩壊が、家族内の人間関係を解体しつつある。家長制度的な従来の家族制度は、男女差別、自由意志の抑圧とっいたいろいろな弊害があることが明らかになってきた。しかし、だからといって、家族の持つ人間関係まで否定することは、家庭の崩壊を招く。家庭の崩壊は、個人の主体性の崩壊につながる。これは、自律的意志を前提とする民主主義社会では絶対的に避けなければならないことである。新しい、家族関係、家族主義の再構築が必要なのである。つまり、従前の家長制度的な家族制度ではなく、民主的な新家族制度の構築が急務なのである。

 メディアの急速な発達によって、テレビやテレビゲーム、漫画と言った媒体を介して、外部からの情報が急速に家庭内に入り込み、家庭環境を激変させている。しかも、これらのは情報は、直接的に、学習主体に働きかけ、価値基準や行動規範に重大な影響を及ぼしている。時には、暴力的な力で、家庭内部の秩序を破壊し、家庭崩壊や人格崩壊を招いているケースさえある。これは、社会的な力による家庭空間へ直接的な介入を意味する。しかも、無軌道・無規制な形で行われているのに、暴力的なものを感じる。自主規制というのではなく、民主的な規制、ルール作りが求められているのである。

 これらの、問題は、過渡的な問題である。その是非には、各々いろいろな見解が存在している。ただ、ここで問題なのは、古い体制が崩壊する一方で新しい体制の再構築が為されていないという事である。それは、家庭空間そのものを否定する動きにもつながっていく。つまり、己としての空間が、むき出しで、直接的に社会空間に抛り出されようとしている。それが、自己の防御機能の働きを異常に強くしてしまっている。その結果、引きこもりやニート、児童虐待、少年犯罪を生み出しているのである。

 自己の空間は、家庭空間の愛情によって保護されてきた。この保護機能が、今、問われようとしているのである。




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