先 生 へ
先生へ

学校に規律は必要である。



学校にとって規律は必要である。
先生の立場を守る為にも規律は大切である。

学校に規律がなくなれば先生は自分の立場すら守れなくなる。
学校が先生の立場を守れなくなれば、先生は個人の力で自分の立場を守しかなくなる。
そうなると先生は、腕力を使わざるをえなくなる。
腕力というのは必ずしも暴力を言うのではない。

先生の私的な力、個人の力を使わさせるを得なくなると言う事である。
てめえ、この野郎というような事である。

つまり、先生としての品位を保てなくなる。

今の学校の先生は規律という言葉が嫌いなようだ。
嫌いにさせられていると言った方が良いのかもしれない。
現在の現役の先生と言うより、今、現役を退いていこうとしている世代が規律という言葉が嫌いだからだ。だから、彼等は、学校から徹底的に規律をなくして学校を退いていった。
故に、今の学校の先生に残されたのは、徹底的に規律のない学校である。

その様な学校が如何に凶暴で危険なものか、それは現役の先生が一番知っていると思われる。

テレビドラマの作り手は、教育の現場など理解していないのである。

集団行動、中でも特に、組織的行動では、確認は不可欠である。
組織とは、部分が情報系統によって結ばれた全体を言う。狭義の組織、人的組織とは、全体を構成する部分が人である組織を言う。そして、一般で言う組織とは、情報系統が統制系統に進化したものを言う。

自分だけ解っていれば良いというわけには、組織はいかないのである。
組織は、情報系統であり、何らかの情報を共有することで成り立っているからである。
その点を理解されていないが昨今増えた。
極端な場合、組織そのものを学校が否定している。

人は、何でもかんでも一人で好き勝手にやりたいと思う。しかし、集団で個人を好き勝手にさせたら、人間関係は崩壊してしまう。それは、個人の欲求と全体の要求が常に一致しているとは限らないからである。
例えば、全員が同じ時間に眠くなるわけではないし、同じ時間空腹になるわけではない。同じ者が食べたくなるわけでもなく、同じだけ食べたくなるわけではない。同じ人を好きになるわけではなく。同じ人を嫌いになるわけでもない。
しかし、組織は、そういうわけにはいかない。組織では同調することが求められる。組織では同じ目的を共有することが求められるからである。

それ故に、組織では規律が求められるのである。
そして、学校は組織である。だから学校は規律を重んじてきたのである。
学校の規律を軽んじる、或いは、否定する者は、学校という組織を破壊、崩壊させる事を目的とした物である。


規律
規律
規律と秩序
礼儀


礼節
教育と志
修身



        content         

ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2016.3.31 Keiichirou Koyano