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指示・命令


我々は、指示・命令という事を自然に、当たり前に受け入れてきた。
しかし、我々以降の世代は、どうもそうではないらしい。

彼等は、学校で、指示・命令は、悪い事だ。
指示・命令は、強制だからしてはならない。
指示・命令は、軍国主義や封建主義の名残だからしてはならない。
命令口調なのはやめろ。

だから、今の子は、親からも指示・命令をされたことがないという子が多い。
いわんや先生から、指示・命令をされるなんて事は許されない。

だから、指示・命令馴れしていない。
社会に出て、会社の上司に指示・命令された途端厭になる。
下手をすると怖くて家に引きこもるような子も出る。

まず学校で集団行動という物を教えないし、正当化していない。
集団行動を否定しているのだから、組織なんてとんでもないという事になる。
だから、組織というものを実体験的に教えようとはない。
むしろ、組織を毛嫌いし、生理的に受け入れられないようにする。

自主性、自発性を重んじて強制とか、強要という事を極力排除しようとする。

2歳、3歳でも主体性を重んじて自主的に判断するように仕向けるという。
何をもって主体的とか、自主性とか、個性というのか、それすら曖昧なままにしてとにかく個性を重んじると言い、頭から、集団や組織を否定してかかる。

集団があっても組織化されていなければ烏合の衆である。
それすらわかっていない。
組織は、指示・命令があってはじめて成立する。だから、指示・命令を否定したら組織は成り立たなくなる。学級は崩壊し、規律は失われ、統制が取れなくなる。
まあ、学校の先生自体が学級を否定し、規律を否定し、統制を否定しているのだから当然の帰結、自分たちの教育方針の成果が出たから学級は、崩壊し、先生は馬鹿にされ、暴行され、規律は失われ、統制がとりなくなった。それは先生自分たちの教育方針の賜物だから先生たちはそれを甘んじて受け入れるのも良しとせざるかもしれないが、たまったものではないのは、教え子の方である。社会人としての常識も素養もないまま社会に放り出され、適合できなくなった引き籠る。その責任を先生方は取ろうともしない。

指示・命令は軍国主義で悪だと学校の先生は思い、教えているから、生徒は無責任になる。
責任感というの指示・命令を出してはじめて自覚される。
指示・命令というのは、指示。命令を受けた者に自ずと責任が持たされる。
だから、否王なく責任感というものが醸成される。
逆に、指示・命令されていない者は、責任感は生じない。つまり、無責任なのである。
無責任にしているのは、当人たちではなくて、指導者である。学校では先生である。先生が生徒たちを無責任にしているのである。
責任があって自発性は効果がある。責任感がない者の自発性ほど危険な事はない。

ピッチャーはピッチャーをやれと指示されてはじめてピッチャーとして自発的な行動ができる。

指示・命令は、指示・命令を出すしてはじめて効果を発揮する。また、指示・命令は、指示・目命令を受けた者が指示・命令だと認識して初めて有効となる。だから、普段、指示・命令をされた事のない者は、指示・命令の意味さえ分からないし、どうしていいのかもわからない。不当な指示・命令を拒否する事さえできない。ただ呆然とするだけである。

仕事は、やらせるから覚える。勉強もやらせるから覚える。
やらせなければいつまでたってもできない。
車の運転は、車を運転させるから覚える。
水泳は、畳の上で覚える事はできない。
水泳は、泳がなければ覚えない。
指示・命令も然り。仕事も然り。やらなければ覚えないし、やらせなければ覚えない。

我々は、指示・命令を確認してから仕事に掛れと躾けられてきた。しかし、今の子はそれすらわかっていない。仕事が終わってから、結果を出してから指示・命令を確認する。それでは完璧に手遅れである。
仮に、指示・命令通りの事が偶然できたとしてもそれは指示・命令に従った事にはならない。
自分勝手な行動を先生が、是認し、奨励してきた。だから、子供たちが自分勝手になるのは当然のことだ。

非常事態宣言というのは、なんでもない時に出す。
本当に事件や事故が起きてから非常事態宣言を出しても遅いのである。
常に、指示・命令、連絡馴れしているからいざという時に動けるのである。
台風とか、不審者が表れたといった様なある程度予測がつく時でも非常事態宣言を出す。
指示・そのものは連絡とか、体制を敷くと言った大したことでなくても指示、命令が実行されたという事が大きいのである。

自分ができる事は、自分でやれと言うのも間違った指導である。
自分出できる事でも指揮官は、極力部下にやらせろが大原則である。
自分でできるからと言って自分でやっていたら、いつまでたっても組織は起動しないし、部下は、組織を覚えない。それこそ、指示・命令馴れしないのである。

組織とは、一人では何もできないような仕組みである。
自分にできる事でも、他の人にやらせるから客観的に見たり、掘り下げたりができる。
また、多角的に検討する事が出来るようになるのである。
何でもかんでも一人でやっていたら、独善的になるし、また、自分のできる範囲でしか仕事ができなくなる。

組織や秩序、規律を嫌うのは敵対するものである。日本人は、集団行動に優れていた。それに脅威を感じるものが、組織や秩序、規律を嫌うように仕向けたのである。それは、日本人が規律を重んじ、統制の取れた行動をすることを怖れたからである。
それに加担したのが先生である。しかし、その結果は、自分たちに負う事になった。
生徒が誰も従わなくなり、学校から秩序や規律が失われ、統制が取れなくなったのである。そして、誰も先生を指導者と認めなくなりつつある。




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