真の教育とは


座学と修行


 教育のやり方には、座学と実践があります。

 万巻の書を持っても、人を愛する事の意味を、教える事は、難しい。また、言い表すことはできない。しかし、人を好きになれば、愛する事の意味を、誰でも悟ることができる。

 勇気や決断力は、本から学べない。感動や創造力は、本では養えない。人を愛する心は、本からではもてない。

 先人達は、一番肝心な事、大切な事は、教えることができないという事を前提にして、教育を考えてきた。仮に、それを教えられる者が居るとしたら、それは、神のみだと考えていました。まあ、今の教師は、自分を神だと思いこんでいる節がありますが。とにかく、一番、大切な事は、教えられないと考えてきた。
 だから、教育は、いかにして、それを自覚させ、また、体得させるかが、最大の課題だった。そのためには、間接的手段としての実践が重視されたのです。
 感動を教えるには、感動することを体験させる以外にない。

 実践は修行と実技です。修行は、日本人が古来より、教育の中心にすえてきたものです。ところが、修行も、戦後、公教育において、捨てられてしまいました。
 その理由は、封建的だからという根拠のないものです。なぜ、修行は、封建的なのでしょう。精神が間違っていたから、戦争を引き起こした、修行のやり直しだというなら分かります。ところが、戦後の知識人達は、自分たちの責任を棚に上げて、全ての日本的なものの責任に転嫁してしまった。その結果、安易に、修行を頭から否定してしまったというのが実態でしょう。

 教育を表す言葉に、知徳体という言葉あります。また、心技体とも、心気力ともいいます。
 これは、心と体と知恵をバランスよく学ぶを意味しています。

 刃物の使い方や手入れの仕方をいくら教えても、刃物を使うときの心を教えられなければ、意味がないどころか、危険な事です。性知識を教えるだけ、愛を教える事ができなければ、欲望を抑えることはできません。心も、愛も、独創的なものであり、主観的なものです。

 知識が、後天的に身につけるものというのに対して、心と体は、磨き、鍛えるものです。なぜなら、心と体は、元々、備わっているものだからです。
 だから、心と体は、体験を通してしか、鍛える事ができません。そこに実践の必要性があるのです。

 教育の在り方の根本は、自己のあり方です。自己のあり方とは、自分の心のあり方です。これらは、修行によって鍛えられます。
 人間は、独創的な存在です。人間は、主体的な存在です。そして、自己中心の存在です。このような自己は、今しか存在しません。

 知識を身につけさせるだけの、教育には、限界があります。第一に、学問をやる意志というのは、教えられないということです。そして、物事の真理に対する認識は、直感や経験に依拠しているという事です。
 だから、客観性のみに依拠した教育には、自ずと限界がある。人間は、主観的動物なのです。だから、主観を前提とした教育がなされなければならない。
 だから、大切なのは、教えることではなく、教える人なのです。

 自己中心ですから、当人の好奇心、動機、やる気が、なければ成立しません。そして、やる気というのは、内面の動機に依拠しています。内面の動機に依拠したものは、教えることができないのです。つまり、やる気だとか、好奇心とかは、教えることができません。

 大切な事、肝心な事の多くは、教科書では、教えられない。それらは、直感や経験を通じて体得していくしかない。
 学んだ事を実践し、経験する事によって、自分のものとする事ができます。

 語学が、いい例です。語学は、使わなければ身に付きません。また、長く使っていないと廃れていきます。

 生命の神秘や宇宙の深遠さは、教科書では教えられない。感動や感銘も教えることはできない。感じさせるしかないのです。

 だからこそ、実践や経験を重視した教育をしていかなければなりません。

 子供の成長に合わせて、社会経験を積ませるのも、教育の重要な役割です。重要な決定に参加させること、特に、自分の人生の進路に決定的な影響を及ぼすことに対しては、積極的に参加させるべきです。
 一定の年齢に達したら、学校の運営や経営にも参加させていく。学校の運営や経営、カリキュラムづくりに参画させることによって、実際の社会の仕組みを教え。社会人としての自覚を養わせるのです。実際の経験をとおして、社会の仕組みを覚えさせるのです。

 また、教育には、視覚性と操作性が大切です。数学は、この二つを満たしているから発展してきました。
 目に見えて、しかも、自分で操作することに置き換え、経験を積ませるのが、教育には大切です。




                content         


ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2004.3.5 Keiichirou Koyano

教   育