真の教育とは


教育と仕事



  社会にとって何が必要なのか。それを、知るには、まず、自分は、迷惑を他人や社会にかけているという自覚が必要です。
 社会にとって、人間というのは、迷惑な存在なのです。教育は、その自覚が原点になければなりません。人に迷惑をかけなければ、何をしても良いなんて、とんでもない発想だ。それは、教育なんて必要ないと言っているのと同じです。 

 必要な事とは、実際の社会で、また、当人が、現実に、困っていることです。仕事ができなければ、なければ本当に困ります。だから、仕事を覚える事が、一番、大事です。

 困る事や迷惑の反対側に教育がある。
 迷惑と困ることは表裏の関係にある。つまり、迷惑というのは、困ることの裏返しにあるのです。
 困る事と言うのは、自分にとって負になる事です。
 自分が困るから、そして、社会に迷惑をかけるから、学ぶのです。
 社会に迷惑をかけっぱなしだと、自分が、困るから、学ぶのです。結局、親の為でもない、先生の為でもない、国の為でもない、自分のために勉強をする必要があるのです。

 生きていく為には、仕事をしなければならない。働かざる者、食うべからず。働かない者は、それだけで社会に迷惑をかける。ところが、今は、働かなくても、生きていると、思っている人間が、増えている。だから、仕事もしないで家に引きこもっているだけで、誰にも迷惑をかけていないと言う。そして、養うのは、当然の、義務だという。迷惑をかけなければ、何をしても良いという考えの裏側にある発想だ。
 とにかく、働かない人間は、社会にとっても、家族にとっても迷惑な存在なのです。
 仕事をしないでブラブラされるのは、社会にとっても、自分にとっも困る事、不幸な事です。だから、自分の力で生きていけるようにするのが、社会からの要請です。そして、それは、自分の為でもあります。

 しかも、職業教育は、早ければ早いほど効果が上がる。ならば、義務教育の内から職業訓練をすべきなのです。在学中にいろいろな職業を、経験させておくべきなのです。そうすれば、卒業した後でも選択肢の幅が広がる。俗に、潰しがきくようになるのです。そのためには、教育の内部に現実の仕事の現場を持ち込むべきなのです。
 職場こそ、学校なのです。産学協同のどこが悪いのでしょう。本来、産業と教育は、一体であるべきなのです。これも、教育の現場が、反社会的、反資本主義的考え方に支配されている証拠です。
 働きながら学ぶのが基本です。

 お手伝いを通じて、子供達は、いろいろな事を学びます。実際の社会や人間関係、特に、自分が必要とされている事を学ぶことに大変な意義がある。家の手伝いをする事によって家事の事を学び、仕事を手伝う事によって仕事の作法を学ぶ。それが、実際に社会に出た時、どれほど役に立つか。ところが、あろう事か、学校教育は、このお手伝いを否定してしまっている。少なくとも、家の手伝いなんてしていたら成績は良くならない。
 そのうえ、過保護なぐらい世話をやく。これがいいように見えて、実際は、社会に出た時、一人では、何もできない子を育ててしまう。
 お手伝いをさせながら、できることは、何でも自分でさせる。それが、教育の基本。

 商業高校や工業高校、農業高校、専門学校のあり方の方が、本来の公教育のあり方に近い。しかし、今日、これらの高校が廃れたのは、進学の道が閉ざされているからです。それは、大学のあり方の問題です。
 普通高校は、学問を目指す者に適した機関です。しかし、全ての人間が純粋学問を目指しているわけではない。大学においても商科や工科のような学部がある。しかし、普通高校から進級するのが困難な状況だ。結果、簿記もわからない商学士が誕生する。しかも、いまや、数学すら、普通高校では教えなくなりつつある。

 医学も普通高校以外からも、むしろ、多く進級できる道を開くべきだと考えます。

 純粋学問が、必要以上に高く評価されている弊害なのである。




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