真の教育とは


教育に対する考え方



  日本人には、元々、無為自然という思想がありました。これが、民主主義や自由主義の思想につながって、科学的合理主義や自由は、無為自然な事だと誤解する発想が、生まれました。
 自由についても、個人とか、自己というものを明確にせずに勝手な解釈した考えが多く聞かれます。
 いずれにせよ、これらは、個人主義や自由主義、民主主義を、正しく理解していないことから発生しています。

 その中で、教育に、重大な歪みを、与えているいくつかの間違って偏見があります。その中の一つに、独創的な教育、個性的な教育というのがあります。しかも独創性や個性が、自己や個人に対する間違った認識の上に立てられているの場合が多く。問題を複雑にしています。

 独創性や個性を他の人とは、違う事だと錯覚している人をよく見かけます。自己とは、元々、唯一の存在、即ち、ユニークな存在なのです。だから、ことさらに、人と違ったことをしたり、強調したり、目立つ事をしなくとも、存在そのものが、十分、独創的で個性的なのです。このことを、きちんと自覚していないと、その後の教育の在り方を、間違うことになります。

 また、科学的認識は、客観的な認識に立つことだという錯覚です。しかも、この客観的認識というのがくせもので、無為自然な境地だと思いこんでいる。
 客観的対象と言うものは、事実以外しかありません。意識の働きが作用したときから、全ての対象は、主観的なものになります。だから、科学は、仮説に基づくとあらかじめ銘打っているのです。

 自己というものは、主体的、主観的存在です。これは、大前提です。だからこそ、教育の根本は、主体性や主観を磨くことです。つまり、直観的な判断を重視することです。
 直感を重視すれば、結果的に、経験や実践が重視されます。
 この意味で、現代の教育は、逆行しています。
 教育から、直感を排した結果、残されたのは、記憶しかありません。

 仏教では、直感力や感性を高めるために、瞑想や修行を重視した教育をします。また、武道や茶道、茶道もただ、技術を磨くことだけでなく、精神や感性を研ぎ澄ます事、そのために作法を重視します。キリスト教もイスラム教も儒教も何らかの形で修行をします。

 歴史教育の中で、年表や年代というのは、糞尿の類です。つまり、必要なエッセンスを吸い上げられて滓みたいなものです。

 現実の社会は、実体が伴わなければ、機能しません。だから、試験制度とは無縁な世界です。つまり、主観に支配された世界であり、試験は、あくまでも補完的なものにすぎません。これが実態です。
 しかし、この現実を無視したところに成立しているのが、現行の教育制度です。それは、客観性という、ありもしない幻想を重視した結果なのです。
 なぜ、このような事態を招いたのか、それは、教育体制を全国一律なものに統一し、管理しようとした結果です。その結果、結局、教育制度の中から、最も大切な人間的要素が駆逐されてしまったのです。

 教育の本質は、本来、人選びなのです。優れた、教師を選び、一人前の人間、つまり、人格の形成こそが、教育本来の目的です。試験をすることが、目的ではありません。たとえて言うなら、試験は、健康診断における検便みたいなものです。一部の病気は、判別できても人格までは、判別することはできません。

 本来、人物評価とは、主観的なものです。しかし、これを認めると試験ができなくなつてしまう。つまり、試験制度を骨格として、教育制度が崩壊してしまいます。だから、教育関係者は、試験制度を変革できないのです。つまり、試験制度を支えているのは、教育関係者の利権と都合なのです。

 スポーツの世界を考えればわかります。スポーツの世界で選手を選抜する基準は、あくまでも監督やコーチの主観です。ただ、選手の側にもいろいろなチャンスを与えて、弊害を防いでいます。ペーパーテストで選手を選抜したら、優秀な選手のほとんどが、ふるい落とされてしまうでしょう。そこで、問題になるのは、監督やコーチの人格、人柄なのです。

 人間は、独創的な存在です。だから、人格が、重要なのです。その人の人生を、他の人と比較しても仕方がないのです。なぜなら、人はそれぞれ自分にとって最善な生き方をするしかないからです。それは、試験によって測れるものではありません。あくまでも、主観的問題です。

 現代ほど、教育者の人柄、人格を問わない時代はあるまい。また、教育において、修養や修行を軽んじる時代もあるまい。古来、教育を担ってきた場所は、例外なく、修養、修行の場、道場だった。人間教育、人としていかにあるべきかが、教育の場から失われてしまったのである。

 人間は、本来、主観的動物なのです。故に、実践や経験を重視した、少なくとも、取り入れた教育をしなければなりません。
 



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