教育ってなあに


規   律


 我々は、統制、規律、秩序を忌避するように教育で刷り込まれた。
 だから、統制や規律、秩序を本能的に嫌うようになってしまった。
 そして、それは、礼儀作法、即ち形式の否定、歴史伝統の否定へと結びつく。

 先ず戦後教育の中で、自由と平等、民主主義、平和を無条件に正しい絶対的な真理であり、それに反する事、まだ、阻害することは悪であるという価値観を大前提として刷り込まれた。
 そして、その対極にある思想、体制として、絶対主義、全体主義、国家主義、封建主義、帝国主義、独裁主義、覇権主義、宗教的原理主義を位置付けられた。
 その上で、自由、民主、平和、平等の対極に位置する思想と統制、規律、秩序を結びつけ、その具体的な対象として道徳、規則、礼儀、作法、制服、儀式、象徴を攻撃目標としたのである。

 しかし、統制、規律、秩序、そして、それを具現化した規則、礼儀、作法は、自由や平等、民主主義、平和と二律背反な関係にあるものとは限らない。
 現実に、民主主義は、法治主義であり、法治主義は、統制や規律、秩序を重んじたところに成り立っている。
 また、民主主義にとって儀式、セレモニーは不可欠な要素である。

 本来、統制や規律、秩序は、社会や組織と関係した規範である。
 つまり、統制や規律、秩序を否定する真意は、組織的、社会的行動を阻害することにある。
 戦後の教育が浸透した結果、組織に対する適合性がなくなり、社会性を喪失した若者が量産された。
 それが引き籠もりやニートの潜在的な原因となっている。
 しかし、その原因を作っている者も、その原因に影響を受けている者も、何が、原因を理解していない。
 つまりは、症状として現れているが真因が、不明な病気のようなものである。
 しかも、それらが自分達が教えたこと、教わったことに起因しているから質が悪い。
 たとえ、原因に気がついたとしても、気がついた時には、認めがたい状況、環境に置かれているのである。
 つまり、二重に罠が仕掛けられているのである。
 この状態が続けば、日本の社会も組織も徐々に解体していくであろう。
 つまり、日本の社会も組織も、結びつきを失って、熔けてしまうのである。

 統制や規律、秩序は、自由、平等、民主主義、平和と対立する概念ではない。
 むしろ補完的な概念である。
 その証拠に、組織的な活動は、人間の自由度を増した。
 また、スポーツは、ルールがあるからこそ自由な活動が保証されている。
 自由、平等と統制や規律を結びつけたのは、旧体制を倒すための方便に過ぎない。

 民主主義が確立された今日、統制や規律、秩序を再構築しなければならない。
 そうしないと、民主主義自体が崩壊してしまうのである。





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