教育の理想を求めて

準備ができない



最近は、準備のできない人が増えた。最近の若い者はと言いたいが、若いものばかりとは限らない。もう六十に近い定年間近な者でも準備も、計画も、段取りもできない。
言われた事がかろうじてできる、そんな人が増えた。そして、そういう者に限ってうつ病だという。

仕事において会議だのイベントだのを行う場合は、準備がいる。我々にとってそれは至極当たり前な事である。その当たり前な事が当たり前にできない、それがより深刻な事態を引き起こしている。

大体、そういう者は、自分が準備しなければならない事さえ分かっていない。
誰かが、全てを準備していてくれるものだと頭から思っている節がある。

例えば、誕生パーティである。
今の人の多くは、誕生パーティーの日が決まったら、自分は、ただその日に行けばいいと思い込んでいる。
しかし、誕生日パーティーの日を決めたからと言って誕生日パーティーが開けるわけではない。
ただ、バーティーに行けばいいというのは、幹事ではなくて、組織、会社では奴。なくの役にも立たない。
誕生日パーティーを開くための準備をしなければならない。
誕生日パーティーを開こうと決めた日から仕事は始まるのである。
誕生日パーティーでも、誰かが、計画を立て、出席者を決め、また、連絡をしなければ、パーティーはで開けない。その上で、パーティーの会場を予約したり、飾りつけをし、あるいは、ゲームなどの準備をする必要がある。
また、少し大きなパーティーになったら一人で仕事をする事はできない。予めチームを編成して作業がある程度洗い出し出来たら役割分担をする必要がある。

何よりも誰が中心かを明確にする必要がある。中心がハッキリしてなければ、何も始まらない。

組織には、中心になって準備するもの以外に、単なる出席者もいる。そういう人と中心になってパーティーを企画したり準備したりする者は分けて考える必要がある。況や、中心になって準備する者が単なる出席者だと思っていたら、何も始まらない。前日になって大騒ぎになる。
そういう人は、何でも他人任せなのである。

これは仕事も同じである。例えば、会議の日が決まったからといって会議が開けれわけではない。会議を開けと指示された時から仕事が始まるのである。
ところが、会議の日が決まったら仕事は終わって、ただ会議に行けばいいと思い込んでいる人が大勢いる。そこから間違いが始まる。特に、責任部署の者が錯覚したら結果は悲惨な事になる。

パーティーだって誰が主催者か、幹事かがわかっていなければ、仕事は進まない。仕事をやっていると自分が幹事、主催者だという自覚のない責任者に時々出くわす。
そうなると会社は、中心を失い制御できなくなる。

準備をする為には、幹事がいなければならない。
幹事は、指示を受けたら、注文を取らなければならない。

誰がゲストかを見極める事である。システムでは、エンドユーザーと言う。つまり、最終顧客であるが、此処でいうお客と言うのは、一般でいうお客様と言う意味ではない。システムをオーダーしたという意味でトップや上司も顧客なのである。つまり、最終的にシステムを活用する者がシステムエンジニアにとって最終顧客なのである。

客から注文を取ったり確認をするのは、責任者である必要はない。先ず誰が適任化をケース・バイ・ケースで測る。街のレストランだって客から注文を取るのは給仕である。

準備や段取りを付けられる者が少なくなっている。これは深刻な事である。どんどんとリーダーシップをとれるものがいなくなる。マネージメントできるものがいなくなることを意味しているからである。



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