教育の理想を求めて

指導者たる者


彼は、仲間の事を言っているように見せかけて自分をごまかしているだけなんです。
自分の話を聞いてくれないとか、認めてくれないと言い張りますが、彼こそ、上司や部下の話を聞いていないのです。
事情何も把握しようという努力をしていないのに、周囲の人間は何もわかっていないと言い張る。それでいて事情を知らない者の同情を引くような事を平然とする。
あの種の人間は、人の弱みに付け込むのが上手いんです。

彼は、責任者になれないと任せられる前は不満を漏らしていながら、責任者を任せられたとたん被害妄想に陥っているだけです。
彼は、実質的に部門長なのです。立場をわきまえず不満を社外の人間に言っていたとしたら、その人間の根性がわかるでしょう。彼こそ、先生に言った泣き言を解決すべき責任者なのです。単なる仲良しクラブではありません。部下の言い分を聞いて我々を説得し、その代わりに会社の方針に従って責任をもって目標を達成させるべき人間なのです。もし貴方が、一緒で仕事をしている時ですよ。自分たちの抱えている問題を何も解決しようとせず、日々の仕事の指示もせず、報告もせずにですよ。部外の人間に会社は何も理解してくれないと涙ながらに訴える現場責任者がいたらどう思いますか。
しんどい思いをしているのは上役です。だから上司の相談相手になってほしいのです。
劣等感の塊の人間、根性がねじ曲がった人間が弱者の媚態をとっているだけで、それは、それで真剣に立ち向かわなければならない事なのです。
本当に格闘技なんです。

何が彼等にとって一番嫌かわかりますか。
自分がわかっていない事、自分の弱点、自分の無能力さ、自分の怠慢、それを知られる事なんです。ただ、それだけなんですよ。
そういう彼らの気持ちわかりますか。彼等は劣等感の塊なんです。馬鹿にされたくないという気持ちがすべてに優先するんです。
それと向き合ってそれを糺すのは、自分にとっても命がけなんですよ。
背中を見せたら襲い掛かってくることもあるし、目を離したら自殺だってしかねない。

相手の気持ちになってなんて甘っちょろい考えでは殺されることもあれば、殺す事だってある。
本当の真剣勝負なんです。
彼らの劣等感とか心の傷と言うのは、生半可なものではない。

彼は、上役にはっきり認めているんです。自分は、皆の話を聞いていないし、怖くて指示も出せない。怠けているかどうかもわからないと…。しかも、自分も怠けているとまでですよ。
その人間が仲間に同情して見ず知らずの人間に涙みせられるんですから。
大したものですよ。でも、そういう人間ばかりなんです。
そういう人間を一人前の社員にするのが私たちの仕事なんです。

あいつら、絶対にわからないとか、できないなんて言いませんよ。ただやらないだけなんです。そうして平気で嘘をつく。無自覚にですよ。
ただ、わからないなんていったら、できないなんていったら自分たちは、この会社にいられないと思っているだけなんです。だから、わかりましたというけど、絶対に結果は当てにできない。
戦いなんです。

彼にとっては、どこまで行っても他人事なんです。だから、自分だけいい子になれる。彼は管理職なんです。部下を管理しなければならない立場にある。それが部下に対して同情的な態度をとってもどうしようもないんです。部下があえて嫌がる事もさせなければならないし、目標を達成させなければならない。
上役は、だから皆の意見をよく聞いてそのうえで、今、厳格に評価してもモチベーションが下がる一方だから中條が責任をもってまとめるならば一定の評価を与えてもいいと言っているのにです。醒めた言い方をするんです。
その癖、周囲の人間には、同情を引くような態度をとる。弱者の媚態だというんです。専務も最初の頃は頃っと騙されています。よく泣きますよ。それも確かにウソ泣きではない。だから始末が悪いんです。
じゃあ、何か努力するかと言うとそうでもない。要するに自分ができないから泣くんです。部下のために泣いているわけではない。不平、不満を言ってそれを聞いてくれる人の同情を引くんです。
彼らの精神状態というのは、わからんです。わかろうとも思いません。わかったところでどうにもならない。ただ、根本は、自信がないという事と、劣等感です。
割り切れればそれでもいいですが、割り切れないんですね。だから、下手に叱るときれいに悪役されてしまう。
彼等は相手の一番嫌なところをついてくるんです。この人は誰に弱いかという点ですね。その辺の嗅覚は凄いですよ。相手の嫌がる相手を選んで同情を引こうとするんです。
彼等は最初っから諦めている。やる前から結論を出して諦めている。そして、やる前からできない理由ややらない理由、言い訳を考えているんです。その上で、周囲の人間だけでなく、自分をも騙す。
部下がとか、上司が理解してくれないとか、話を聞いていないとか、でも、リーダーなら目標を達成しなければならないだろと言っても関係ないんです。何もできない、やらない理由を部下や上司、ひどい奴は、世間の性にして何もしない。
部下が言う事を聞いてくれないとか、上司が自分の事を認めてくれないとか、誰も話を聞いてくれないと泣くんです。
それは試験勉強を何にもしてこないで、前日徹夜したけど何もできないと言って泣くようなみので、お前が悪いんだろと言っても聞かない。誰も教えてくれなかったとか、助けてくれなかったって自分の怠慢を他人の性にして自分を正当化する。わからんですよ。頭に来るけど…。貴方の教え方が悪いんだと言いかねないです。
一日パソコンの前に座って意味もなく目的もなく仕事を作っているんです。何やってのか、時々除きますが、わからないですね。やってる当人がわからないんですから。
上役が周囲の人間に反論できない状況をきれいに作り上げているんです。本当に煮てもて焼いても食えない連中なんです。俺は百も承知でやってますし、そういう連中を一人前にするのが僕らの仕事なんです。
兎に角、上司にとって何が厭か、その辺のところを巧みについてくるんです。上司が一番嫌な点をついて、後ろで煽ってくる。自分から言い出す勇気なんてないですからね。
駄目な人間なんだって自分にレッテル張れば楽ですよ。何の努力もしなくていい。そのくせ劣等感だけは人一倍強い。人の事やっかんだり、ねたんだ在り、人の足を救ったり、嵌めたりする事にはたけていますけどね。その根性、前向きに向けろというんですけど…。どうせ僕は駄目な人間ですって最後には開き直りますから。最近は、僕はうつ病なんですって。

彼は、自分の話を聞いてくれないとか、認めてくれないなんて言いますが、じゃあお前はどうなんだと聞けば、上役の話も部下の話も聞いていないし、理解していない。聞く意志も理解する気もないんですから…。彼等は平然と言いますよ。聞いたってしょうがないと…。彼もですけれど。
上司の話なんて最初から聞く気もないし、理解しようとも思っていない。ただ、自分の話を聞いてくれないとか、わかってくれないという事に腹を立てているんですけれど、お前はいったい誰の指示で動いているんだと聞くと。ハァですから。このやろうと思うのですけれど。そうも言ってられないんです。
中小企業の現場なんて修羅場なんですよ。毎日戦っているんです。

よく泣きますよ。我々の時代は、泣いただけで信用されなくなりますからね。でも今の子は、よく泣く。今の子と言って四十代、五十代ですけれどね。男は涙を見せないとよく叱られましたけれどね。男の涙で騙すなんて我々の時代には考えられませんでしたね。苦しい時、辛い時こそ男は涙を見せるなと…。弱音を吐いて泣かれても、男は泣いたらおしまいだなとしか言ってませんでした。それにしても「泣くか」って言いたくなりますよ。自分にとっては恥ですから。それが江戸っ子ですから。

僕は、より深刻な問題だと思っています。今の学校教育やメディアが中條の様な人間を大量生産している。当事者意識の欠如ですね。団塊の世代以降、頭と尻尾を指導してこなかった。ですから、前処理と後処理ができない。
だから、僕は、団塊の世代に頭にきているし、我々の世代の責任を痛感しているのです。
物事を頭、つまり、始まりの部分は、方針とか目的とか、主旨、動機、目標と言った部分ですね。その部分は、一番枢要な部分ですから下の世代に任せようとしてこなかった。まだ若いとか、経験不足だとか、基礎ができていないとか言ってですね。肝心な部分を任せようとしてこなかったし、触れさせもしなかった。だから、我々の次の世代、いわゆる、しらけ世代ですね。だから、我々以降の世代は、肝心なところ方針とか経緯とか、主旨、目的といった事はあらかじめ決められ、決められた事しかやらされてこなかった。ある意味でその部分は、聖域で禁忌な部分なんですね。だから、そこに触れること自体本能的に恐れる躾けられた。また、最終的に仕事を確認するのもトップの役割ですから、そこも触れられないようにした。その結果、頭と尻尾がない。我々のように仕事を一貫して任されてきた者からすると「あんこ」だけの仕事しかできないんです。
ただ、頭と尻尾は、実地的に指導し、仕込んでいかないとなかなか身につかない。先輩たちは意図してか、無自覚かはわかりませんが、それを仕込んでこなかったし、また、後輩たちは面倒くさがって避けてきた。両者の思惑が妙なところで一致して、と言うよりうがった見方をすると占領政策が成功して、現在のような状況になってしまったと言えます。

大量に精神異常者を生み出しますし、植民地根性を植え付けられます。

彼は、何が言いたいかわかりますか。彼の言っている事は、確かに尤もらしいです。ただ、自分の至らないところに安住していなければという事です。最初から自分は駄目な人間だと認めて何の努力もしていないという事です。その上、彼を認めて彼を助けようとしている上役の気持ちを踏みにじっている。それも無自覚で…。
彼は、自分を悲劇の主人公にして自虐的になっているだけです。それを認めたら、認めたものも認められたものも救いようがなくなる。ただ、同情しているに過ぎなくなるのです。
その不甲斐なさと自分は闘ってきました。専務も先生もダメだと認めて努力しようとしない人間の気持ちって理解できないと思いますよ。そんな事って最初から人生を投げているようなものですから。それができる日本人は、恵まれているんです。専務や先生は、言われなくても努力しますし、わかれば自分の力で何とかしようとする。わかっているのに何もしない、何もしようともしないで諦めてしまう人間の気持ちは理解できないと思います。
戦後の日本人なんて無理解さの中で必死に戦ってきたんです。世界に出ても、社会に出ても誰も理解してくれない。それが当たり前だったし、自分の事は自分でやる。それも当たり前だった。親が学校の事で世話を焼くなんて事は恥でしかなかった。だから、親も子供の件かに口を出すなとも言っていました。いじめが陰湿になるのは、何事も自分で自分の始末ができなくなったからだと思います。
彼は、部下の悪口を言わないと言いますが、それが問題なんです。上役もそうですが部下の欠点や短所を問題にするのは、部下を育てるために当然の事であってそれを悪口だと言われたら、指導者は何もできなくなります。友達とか、仲良しクラブならば別ですが、まず部下をどの様に育てたいのか、部下に自分は何を望むのかを明らかにして、そして、自分と部下との関係を確立する事が最初の仕事です。部下の悪口を言わずに自分の至らないところを上げて、泣くなんて上司として最低ですよ。自分だけがいい子になってどうするんですか。まず自分がどうしたいかですから。
幹部が腹蔵のないところを話して自分が部下に対して何を望むのか、また、何を困っているのか。部下のどこが悪くてどうしたいのか。どうしてほしいのか、それは部下の悪いところや弱点だとしても、と言うより、部下の悪いところ弱点、不満を洗いざらい幹部間で話して、そこから始めないと先生に真意は伝わらないよと言っておいたのです。ただまだ理解していないかもしれませんが。己の思いをさらけ出してそれが本音です。
それを部下の悪口、誹謗中傷、不平不満だと捉えられたらおしまいです。おしまいだというのは、それは、部下の悪いところ、改めてほしい事を言うのは、両刃の事だからです。自分の弱さ、欠点、劣等感、悪いところをういてにさらけ出す事ですから。自分の弱点、欠点を話したところで何もなりません。なぜなら、それは自分が解決する事であり、泣き言に過ぎないからです。だから、それを言えば、男は泣くな。情けないと親父に軽蔑されるだけでした。
他人の悪いところ、欠点を聞かされることは、聞く方も辛い仕事なんです。だから、先生にしかお願いできない。自分の弱さ、欠点なんて私情ですよ。部下や上司の悪いところを上げるのは悲惨です。指導者が自分だけを責めるのは、エゴに過ぎません。自分だけ責めても物事解決できないからです。時には、泣いて馬謖を切る事さえしなければならないのです。非情と言われても、鬼と言われても。
でもそれが出来て真の指導者です。自分だけ悪役になればとか、自分だけが辛い思いをすればとか、自分だけが責任を負えばなんて絵空事だし、誰も部下はそんなこと望んでいません。例え、悪党でも大将としてふるまえば部下はついてくるのです。

自分は、部下に対して全責任を負っているんです。どんな馬鹿でも、性格が悪くても、駄目な人間でも、根性がねじ曲がっていても、厭な奴でも、部下は部下なんです。
自分が指導者としての資質がないとと言ったら、部下はどう思いますか。どんな飲んだくれでも、女癖が悪くても、だらしなくても指導者だという自負があれば部下はついてくるんです。
例え、自分が指導者として不完全でもですよ。俺は、指導者に向いてないなんて言ったら部下がどれ程辛い思いをするか。指導者は、指導者になるのです。指導的立場にあるものが指導者に向いていないというのは、逃げです。弱音に過ぎない。ピッチャーは、マウンドを任されたら、監督が交代を告げるまで投げ続けなければならない。ただし、一度交代を告げられたら潔くマウンドを降りるべきなのです。
俺は、自分は人を見る目があります。なぜなら、俺がお前を見込んだんだと言って抜擢していながら、俺は人を見る目がないなんて言ったら相手はどう思いますか。馬鹿にされてるとしか言いようがないではないですか。
だから、指導者たる者、ただ一人逝くのです。

野球でエラーしたとしてもすぐにフォローすればいいのです。エラーをしたと落ち込まれても、反省されても、責任を取られても、試合中は、何の意味もないのです。速やかに、次の動作に入らなければなりません。監督が交代を告げない限り、自分から守備位置を離れるわけにいかないのです。一番困るのは、エラーをしたと言って下を向かれる事です。前を見ていなければまたエラーを繰り返すだけです。エラーは、チーム全体の問題です。でも、エラーで落ち込むのは、私情なのです。
男は、一度引き受けたら、命がけで責務を全うすべきなのです。中條にはそれがわかっていない。自覚が足りないのは、自分が片付ける問題。しかし、自覚が足りない事で迷惑するのは全体なのです。

東芝や神鋼、日産、三菱と錚々たる会社が不祥事起こしている。その根本は統制が取れない事にある。
しかし、その統制を団塊の世代は、否定してしまった。学校教育においてでもある。統制や規律は今でも悪い事として教えている。統制や規律が失われるのは、当然と言えば当然である。

今の学校教育には教え、育てるという思想が欠如している。教えるばかりで育てるという発想が乏しいのである。世の中は、学級の様に同じことを一律一様にやらせればいいというのではない。人に応じて、その人その人の能力や成長、性格、個性に合わせて仕事を与えて育てていく。だから、弱点や欠点があれば何らかの形で補う事を覚えさせるし、能力に応じて適材適所に配置していく。できる者もできない者も皆が同じ仲良しクラブではない、
何かしらの役割を与え、一人ひとりの能力を引き出し、育てるのが世の中である。
だから社会人としての常識、集団活動、組織の決まりなどを躾けていくのである。
それが今の学校教育、学級にはない。極めて異常な社会なのにそれが正常で世の中が異常だと教えてしまうから、社会生活が営めなくなる。
人の弱点、欠点、短所を言うのは、その人を育てる為である。それなのに、欠点や短所、弱点を指摘すると酷いことを言うと責められる。これでは人は育たないし、社会生活にもなじめない。
その癖、一律一様の勉強、試験によって生徒に序列をつけ差別する。これは非道である。

失敗や過失、それに、弱点や欠点、短所を指摘する事は、社会に出たら、成功や幸運、それに、強味、利点、長所を褒めそやす事よりも重要だという事を忘れてはならない。
投手に向いていないのに、投手をやりたいからと言って駄々をこねる子を窘めるどころか一緒になって監督を責める親がいる。誰が見ても投手に向いていない子を親の力で投手に起用させるのは、その子にとっても不幸な事だという良識さえ失われてしまった。
何がその子にとって大切なのか、それを忘れたら教育は成り立たない。

自分は、かつて仲間に言った俺は、友が間違った道に進もうとしている時、俺は、友情をかけて友を殴ると…。殴った事で友でなくなるかもしれないが、殴れなかったら最初から友ではないと。

今の時代は、空気読めないとか、その場の雰囲気を壊してはいけないといった場当たり的な事を重視する間違った風潮が蔓延している。
何事も穏便に事なかれ、ええわええわ、ナアナアでやり過ごす事は存亡の危機を招くことになる。それ自体が危機なのである。



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