教育の理想を求めて

基本・常識・日常性


最近、テレビなどで若い子の言動を見ているとぞっとする事がある。
しかも若い子たちの言動を煽っている大人たちがいる。

事件や事故があると、何か、特殊な事、非日常的な出来事、異常な事が起こったというという認識をするが、その根底に流れるのは、日常的な事、常識的な事、基本的な事である。

表面的な事を見ると特殊な事、非日常的な事、異常な事のように見える。しかし、その原因を辿ると、常識的な事、日常的な出来事、基本的な事に辿り着く。
常識や基本的な事が出来ていないから不祥事が生じるのである。
当然できなければおかしい事、些細でつまらない出来事、基本的にわかっていなければならない事が出来ない、手を抜く、わかっていないから事件や事故に結び付くのである。

怖いのは、最近の若い子の中には、自分たちが常識や基本ができていて、大人に常識がなくて基本ができていないと思っている。あるいは、教え込まれている節がある事である。

そういう人は、これまで何もやってこなかったとか、大人や先人が間違った事の責任を自分たちがとらされているといった被害者意識を持っている。
被害者意識を持っているだけならいいが、自分たちは、何も悪い事をしていないのだから、何も改める必要はない。
悪いのは皆、大人であり、社会なんだと心底思いこんでいるようになると深刻な事態を引き起こす。

要するに、悪いのは皆、自分以外なのだから、自分を改める必要がないと決めつけている事である。
こうなると、他人の意見を素直に聞こうとしなくなる。
大体、こんなことを考える事自体、非常識で、非日常的で異常なのである。
ところが当人たちは全く気が付いていない。

そして、特殊で、異常で、非日常的な事件や事故が起こる。

大体我々は、三年責任を持たされたら、過去の事は問えないと教えられてきた。事実、バブル崩壊後、不良債権を抱えて倒れかけている会社の再建を任されたり、立て直しを依頼されて失敗しても、失敗の原因の全てを過去の経営者の責任にすることは許されずに処罰された人を多く知っている。
気の毒と言えば気の毒だが、それでも、過去がどうのこうのという前に、なすべき事をして、責任を果たさなければならないのである。

大体、過去にやっていなかったからではなく。過去守られてきた常識や基本が忘れられた場合が多いのである。
だとしたら、過去を否定するのではなく。自分たちが捨て去った過去から学ぶ事が大切なのである。

今の学校教育は、戦前はすべて悪かった、過去にはいい事は何もないと全否定の上に成り立っている気がする。
それは敗戦により、戦前の教育を全否定した事に起因する。
しかし、過去を直視、良い事も悪い事も認め、過去から学ばなければ新しい事は生れないないのである。

当たり前な事が出来ない。常識がない。基本ができてないから、事件や事故は起こるのである。

他の人ができない事ができないとしても、誰も知らない事を知らないからといって、あらゆることに精通していないから事件や事故が起こるわけではない。
また誰にもできない事が出来たとしても、誰も知らない事を知っていたとしても、総てに精通していたとして事件や事故を防げるとは限らない。

まず、常識や基本を身につけるべきなのである。

昔の人が悪いとか、先人、大人が悪いとするのではなく。まず、自分たちが人として常識や基本を身につけるべきなのである。


経営者はネガティブ(否定的、批判的、批判的)な捉え方は許されない。
親父たちからは、真っ先に、経営者は、評論家、批評家、コンサルタントにはなってはいけないと教えられてきました。
経営者は、ポジティブでなければならない。なぜならば、経営者は、責任者であり、改める点や実現しなければならない事があれば、責任をもって執行しなければない立場だからです。最近の経営者の言動を見ているとそれがどうも、まだ、合点がいっていないみたいです。経営幹部も理解出来ていない。経営者や経営幹部が一緒になって批判、評論していたら統制がとれなくなってしまいます。

経営者幹部は、相手の言っていることに同意するか否かしかない。同意したら、その後は自分たちが責任をもって執行していく。また、改める。それしかないんです。後は関係ない。
一兵卒ではありませんから。



我々の世代以後の連中は、重大な錯誤があるんですね。
それも、巧妙の仕込まれた罠が、あると思うんです。

戦後は、正すべきところを正さずに、正してはならないところを正されてきました。
それは日本の国力を弱めようとする勢力が学校やマスコミや役所を使ってですね。
だから、我々以後の世代は、自分たちがやっている事は正しいと信じて間違った事を行い、間違った事を指導している。だから世の中も組織もうまく回らなくない。うまく回らないのに理由がわからず、個人攻撃をしてしまう。

働き方改革もその一つですね。働く事の本質を理解せずに表面的な現象に囚われ、対処療法をしている。

今日も言ったんですよ。野球は、主審のプレーボールのコールによってはじまる。この事を主審が理解してなければ、いつまでたっても野球は始まらない。
いくら速い球を投げられてもルールを理解していなければ、野球をすることはできない。しかし、ルールを理解していれば、少なくとも野球に参加する事が出来る。

その点を理解しないで監督の采配がどうのこうのと言っても意味がないと…。

ルール違反が多すぎます。それもルール以前のところでですね。



ルールなのか、それ以前の社会常識の問題なのか、礼節の問題なのか、道徳の問題なのか、相手への気配り、思いやりの問題なのか、技術的な問題なのかこの辺の境界線があいまいになって、ルール以前の社会的常識について話しても、技術的な問題にすりかえられたり、段取りについて話してもいきなり結論を出そうとしたり、意見を聞いてくれないと責められたり、今は内容について触れているのではなくて段取りについて打ち合わせているのだといくら説明しても理解されない。
人としてどうかと言っているのに、結果がいいからいいではないかと開き直られる。
本当に困ったものです。







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