教育の理想を求めて

必要とされる人間となる。


人は、何をもって生きがいとするのか。
何のために、誰のために生きているのか。

この答えとして戦後の日本の教育は、自分のためにと答えるようにしているようだ。
しかし、この答えは、答えになっていない。

人は、自分以外の人に必要とされることで存在意義や生き甲斐を感じるのである。
だから、自分は誰のために聞いているのに、学校の先生ときたら自分のためにと答える。
これは先生にとって都合のいい事であって、相手の質問に答えていない。

戦前なら国家国民のためというのだろう。
それは、軍国主義、全体主義、国家主義、封建主義だから駄目だと決めつけている。
ちょっと待ってほしい。戦前と戦後は国是が違うはずである。
確かに、戦前は、君主国であったし軍隊に支配されていたかもしれない。

しかし、戦後は、国民国家、民主主義国に替わったはずである。
確かに、戦前の日本を怖れる周辺国や敵国ならば、恐れる理由がわかる。
なぜならば、戦前の体制に戻るのではないかと恐れるからである。
戦後、軍備を否定し半世紀以上たち過去の軍国主義を引きづている人間なんていない事は明らかなのに、それでも、世の中や、国が必要とする人間になると言ってはならないなんて…。
その卑屈な精神が日本を堕落させているのである。

国のために必要となる人間になるという事がなぜ、駄目なのか。
共産主義国やアメリカなんて明確に国民に要求してくる。自分の国のために戦えるか。働けるかと。
ところが、日本の学校ときたら、国の為に働くとか、国に必要な人間になると言う事は恥ずかしい事だと教えている。
そんな発想は、植民地の人間や奴婢の価値観である。
日本はいつから属国となったのか。

必要とされる人間になる。自分を必要とする人に出会う。それが生き甲斐なのである。

結婚というのはそういう事である。子供を産むというのも同様である。
自分を必要としてくれる人のために働く。だから、できない我慢もする。
結婚とか出産は、楽をしようと思うからするのではない。
自分を必要としている人に出会うためにするのだ。
その点を理解しないから結婚しない。できない人が増えるのである。

なぜなら、自分が必要とされるそれが生き甲斐だからで゛ある。そのために、その人のためにどんな困難も苦労も乗り越えられる。だからこそ生き甲斐なのである。
自分のために生きていると言われたら、何をか況やである。

自分のために生きているとしたら、自分以外の人、自分以外の者との関わり合いが持てなくなる。
そんな教育は教育ではない。

兎に角、戦後の学校教育では、必要性という事は、徹底的に否定された。
勉強だって無用の用とか、役に立たないから価値があるみたいに・・・。
極端な場合、必要性なんて求めない方がいいくらいに必要性という事は否定された。
だから、なぜ、どんな必要性があって勉強をするんですかと聞く事さえ憚れるような雰囲気さえある。

必要悪とか言ったりもして…。必要な事に悪い事はない。悪い事は悪い事である。
悪い事とは、必要とされないから悪いのである。
本当の勉強は必要悪なんかじゃあない。子供たちは騙されているのである。

その根本にあるのは、世のため、人のためになるような、必要とされる人間になれという考え方だが、世のため、人のためなんてとんでもない事だ。
そんな事を言われて子供たちは戦場に送られ、戦争の犠牲になっていたというのである。これは酷いこじつけである。言いがかり近い。しかし、それを真顔で子供たちに教えるのである。
そして、子供たちが、勉強は、なぜ、どの様に役に立つのですか聞いても。そんなことは聞くものではない。君達は、何も考えずに勉強さえしていればいいんだと教え込んだのである。
だから何も考えない子が育った。
これは戦前の軍国教育よりも悪辣である。
だから、子供たちは何も考えずに虐めをするのである。

我々は、世のため人のために役立つ人間になれ、必要とされる人間になれと少なくとも教育すべきなのである。
そして、例え、かなわぬまでも役に立つような人間になろうと努力する事を奨励すべきなのである。
自分が必要とされる事がどれ程、嬉しい事か、幸せになれる事を教えるべきなのである。

生き甲斐というのは、自分を必要とする人が表れる事で感じるのである。
なぜ、結婚するのか。それは、楽になるからとか、気ままになれるからではない。むしろ結婚する事で負担は多くなるのであるし、拘束されることも増えるし、苦労を増える。むしろ苦労するために結婚をすると言ってもいいくらいである。
そこまでしてなぜ結婚するのか。それは自分を必要とする人に出会う為にである。
子供を生み育てるのは、子供は親を無条件で必要としているからである。
好きとか、嫌いとかではなく。子供は、親を無条件で必要としている。そして、親になる事で自分を無条件で必要とする人に出会えるからである。
だから、親に感謝し、子に感謝するのである。
それが感謝する心の本源なのである。

必要性を否定する事は、根源的な人間関係、家族を否定する事である。
その結果、家族は崩壊する。

師も弟子は必要としている。必要としているから師弟関係は成り立つ。今の学校は、師弟関係を必要としていない。だから学級が崩壊するのである。



                content         

ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2017.1.17 Keiichirou Koyano
教   育