教育の理想を求めて

組   織




担当者は仕事を考え、指導者は人を見る。
私は、よく奴働きばかりしていたら成長しないよ。人を育てたかったら、奴働きばかりさせるなと叱られた。
奴働きというのは、言われた仕事だけに専念する者の事である。
そういう者は、言われた仕事以外しない。
上に立つ者は、人をどう動かすか、人をどう働かせるかを考える。
だから、ミッションを与えられたら、その後すぐに取り掛かるのは組織づくりであり、仕事の段取りである。
昔スパイ大作戦というテレビドラマがあった。
スパイ大作戦は指令を受けたボスが人を選び、チーム編成をすることから仕事に着手する。ある意味でチーム編成によって八分以上仕事の成否が決まるのである。

最近、組織を組織として運用できる経営者が少なくなってきたように思える。
つまり、仕事ばかり見て人を見るリーダーがいなくなったのである。

組織は、言葉だけで動かされているわけではない。
なるほど、組織は、指示、命令によて始まり、報告によって終わる。
どちらも言葉によって表現される。
それでも、組織を動かすのは、言葉だけではない。
なぜなら、組織は一人ではないからである。
同時に二人以上の人間が、場合によっては何万、何十万という人間が一斉に動かなければならない。そうなると言葉だけで意思を伝達するのには、限界がある。
ある意味で百人の組織は、百の並行作業が、千人の組織は、千の並行作業が求められる。だから、言葉だけで同時に意思を伝達するのには、自ずと限界がある。
注意しなければならないのは、意味を表すのは、言葉だけではない。
位置や形、勢い、関係、働き、変化、色、香り、音、熱、味、痛みといった感触などにも意味がある。
組織的な運動の典型的な礼は、集団スポーツである。一定の時間に決められた人数の選手が同時に組織的な活動をする。試合の最中は、基本的に言葉を発するのは、審判と監督、監督の代行だけである。むろん、選手間で声を掛け合う事は許されている。しかし、それは非公式な掛け声であって正式に発言できるのは審判と監督、監督の代行だけである。
つまり、最もチームワークを発揮する段階では、言葉あまり有効ではない。言葉に替わって効果を発揮するのは、例えばホイッスルであり、旗であり、動作である。
この点を考えれば、チームワークで情報や指示を伝達する手段は、言葉だけでないことは明らかである。、

言葉だけでなく、集団を操作する手段にはいろいろある。
例えば姿勢が意味する事もある。ボス猿は、尻尾をピンと立てて自分の立場を誇示する。
仕草や動作などでもチームは動かされる。

我々は、戦後教育の中で、席次だの、旗とか、制服とか、儀式とか、典礼とか、記章とか襟章とか、肩章とかそんなものは何の意味もない事だと教え込まれてきた。
しかし、各々それなりの意味がある。
言葉以外の形式や象徴を否定してしまった事でチームワークの取り方がうまく指導できなくなった。これも戦後教育の弊害の一つである。
長く学校教育によって汚染されたものは集団生活が送れなくなり、社会に適合できなくなってしまった。

言葉以上に全体に特別な意味を伝えるのに有効な手段はいくらでもあるのである。例えば、口笛、フォイスル、太鼓、音楽、旗指物、手拍子、手締め、拍手、光、狼煙等である。
また、儀式、式典、礼儀作法、挙手動作、席次、立ち位置等もある。
この点は十分留意しておく必要がある。形、形式、象徴が重要な意味があるのである。
組織にもまた形があり、段取りにも形がある。仕事の形を覚えていないと組織は運用できない。

組織づくりと建物を建てるのはよく似ている。
しかし、建物は、物理的な物で、見たり触ったりすることができるのに、組織は観念的な事である。見たり触ったりする事ができない。そして、厄介な事に組織は、組織を構成する人たち全員の意識の中に共有されなければならない事なのである。

何か誤解している者がいるが、組織とは、所与の存在ではない。つまり、天然自然に出来上がるものでもなく、予め与えられているものでもない。人工的な構築物、構造物である。

決められた事を決められたようにやる。決まっている事を決まったとおりにやる。そのように組織の仕事を考えていたら、何も決まっていない、何も決められていない状態に陥ったらたちまち思考停止に追い込まれ。組織は、動かなくなってしまう。
組織というのは、決断の連鎖、連続、集積の上に成り立っている。一人でも決断力がなくなると組織は歪んでしまう。

組織は意識の上に構築された構造物である。建物や機械のような物的建造物や構築物は、操作すれば動かす事ができるが、組織を構成しているのは人である。人の意識が働かなければ組織は動かない。

組織づくりというのは、理屈で作ったり覚える事ではなく、行為・行動で作り、覚え込ませる事なのである。つまり、口では説明しただけでは理解しきれない。やって理解する事である。

自分が経験したところは理解できる。しかし、自分が経験していないところはわからない。そうこうしているうちに全体像が見失われ、理屈だけが先行して組織が硬直化し、経験者がいなくなった部分から崩壊していく。一致度崩壊が始まると全体像が見失われているために、原因がつかめなくなり、仕組みの全体が瓦解してしまう。

決められた事、あるいは、定型的な仕事の上に業務が成り立っている時は、組織は惰性でも動く。
また、組織が大規模になると部分を構成する者は、全体が見えなくなる。
全体が見えなくなると全体に合わせて部分を再構築する事が難しくなる。

組織の規模が小さい時は、組織の目的や働きを共有する事が可能である。組織の目的や働きを共有できるうちは、部分の働きが損なわれたり、失われても再生する事が可能である。
しかし、組織が大規模になると組織全体の目的や働きが見えなくなり、部分が自分たちの目的や働きに従って再生する事ができなくなる。

組織が衰退するのは、働きが弱まるからだという錯覚がある。しかし、働きが弱まるのは、働きを弱める要素、要因があるからである。この要素・要因を改めないと組織は活性化できない。

組織は、日々更新している。組織は変化し続けているのである。
組織は更新できなくなると自律性を失っていく。
組織は、生き物であり。新陳代謝ができなくなると組織はすぐに劣化し、衰弱し始める。組織は、破壊と再生を繰り返している。

組織の生成、成長期は、組織を構成する人たちは、全体に合わせて組織の仕組みを再構築する術を経験的に蓄える事が出来た。それが組織の成長が止まり、組織が縮小均衡期に入ると定型的な部分に組織は集約される。組織の生成期発展期にいた者がいれば組織を更新、再編する事ができる。

経験者がいなくなると、組織が部分を再生できなくなり。その部分は失われるか機能しなくなる。それは組織の自己崩壊が始まっているのである。こうなると組織は形がい化し、惰性でしか動かなくなる。

組織は、部分崩壊する反面、組織は、自己増殖もする。

組織は、状況や環境が変化にあわせて全体を変えていかなければならない。
組織は、集団の意識の上に成り立っている。そして、部分は、常に、全体に合わせて再生産されなければならない。この様な組織は、部分が状況や環境に合わせて自己増殖する。
組織は生き物なのである。しかし、全体の目的が全ての部分に共有されなくなると全体は部分を制御する事ができなくなる。

全体の動きを制御するのは理屈ではなく、働きである。

目的というのは、作業日程の関係上で必要とされる場合が多い。この点をよく理解していないと目的とか方針を理屈で考えてしまう。理屈で考えると目的や方針の働きは、見えなくなる。
なぜなら、目的は仕事上の前後左右による制約を受けるからである。

仕事は、作業で考える癖をつける。理屈で考えると考えられなくなる。作業に置き換えるためには、要件で考える癖をつける事なのである。

計画を立てるのは、計画を作ることが目的なのではない。
計画を共有させることが目的なのである。計画だけを作ろうと思えば、 一人で作った方が効率的である。しかし、それでは計画を独り占めするだけで意味がない。
計画は組織で共有するから意味があるのである。

例えば計画の目次を作る事で計画の全体像、概要を作る。また、大枠や分担の構想を見えるようにする。

理念やビジョンは、チームの意志の統一、士気高揚、ベクトル合わせが目的である。いくら素晴らしい理念や高尚なビジョンを作ってもチームのメンバーが理解できなければ、また、共有できなければ意味がない。だからこそ、理念、ビジョンの根本は、共感、共鳴に置くべきなのである。

ビジネスモデルは、事業の基盤を見える化したもの。

いずれにしても、計画を共有するためには、視覚性と操作性が重要となる。

マネージャーは、会議の働きを理解しておく必要がある。
全体を構成する個別の計画や組織、作業を結合するのが、会議や打ち合わせ、イベントだからである。
会議やイベント、打ち合わせには横断のタイプと縦断のタイプ、斜めなタイプがある。
縦・横・斜めの形を巧みに組み合わせて個々の部分をつなぎ合わせ組み立てていくのである。



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