教育の理想を求めて

立ち位置・立場


人には、それぞれ立ち位置立場がある。
それぞれの立ち位置、立場に従って人は、発言している。
その事を現在の学校教育では認めようとしない。
すべての人間は平等だという。平等という言葉の意味も知らずにである。

人は、人として平等である。
一人ひとりの人は違う。同じ人は一人もいない。
一人ひとりの人の違いを前提として平等は成り立っている。
一人ひとりの違いや差を認めなければ、かえって不平等である。
人は、一己の人間として認められるからこそ平等は成り立っている。

一人ひとりの人の違いが明らかになれば、逆に、人としての共通したところも見えてくる。
一人ひとりの人は、一己の人間としての全体をもっている。
自己としての主体性を持った独立した存在である。
自己は唯一の存在である。
人は、生きている。人は、一人では家族も、社会も形成できない。
人は、内的規範に従って行動する。
人は、一己の独立した主体として平等なのである。

人の普遍的在り様は、単純であり明快である。
当たり前な事である。

変易、不易、易簡。

人は、集まって家族、社会を構成する。
家族社会において、人は各々役割がある。

社会や組織は、人と人とを結び付け関係づける事によって成り立っている。
人と人とが結びつく前、関係づけられる前は、単なる集団、集合に過ぎない。烏合の衆である。
人と人とを結びつけ、関係づけるのは、一つは、親子といった人間本来の生き物としての在り方である。
その上に、掟、不文律である。さらに、契約や法、といった約束事によって成り立っている。これらの約束事には、強制力がなければ効力を発揮しない。
何の強制力も働かない社会は、社会としての基本的要件を持たない。つまりは成り立たないし、持続性もない。

家族には、親と子、妻と夫、父親と母親、長男、長女、次男、次女等の関係がある。その関係によって立場が生じる。

人は一人では生きられない。
誰かを必要としている。
だから、こそ、人それぞれの立ち位置、立場を尊重する必要があるのである。

学校であれば、先生と生徒、父兄によって立場が違う。
それを平等だと言って先生と生徒を同等に扱うのは間違いである。
先生と生徒では立ち位置が違うのである。

会社であれば、トップと中間管理職、一般社員とでは立場が違う。
同じ事を言っても世間の受け取り方は違う。
一般社員が言っても許されることでもトップが言えば社会問題になる事がある。
なぜならば、トップの発言は公式・正式な事と見なされるからである。
トップと中間管理職、一般社員一律に扱う事はできないのである。
営業や経理、人事、庶務とは役割分担も権限も違う。

野球選手は、野球選手として平等である。
しかし、守備位置も違えば、打順も違う。
また成績も違う。
投手も野手も同じチームの人間だとして一律に扱えば士気は上がらない。
違いを無視したら野球そのものが成り立たなくなる。

平等という概念は、立場立ち位置を前提として成り立っている。

その点でいえば、教室という空間は異質なのである。社会から見ると隔絶された別次元の空間である。教室では、生徒は同じ扱いを受ける。生徒に差をつけるとしたら成績である。

なぜ、教室は、世間の常識から隔絶したのか。それは、団塊の世代は、この立場を否定してきたからである。それは学校教育に色濃く反映される。
ある時期から団塊の世代が教育行政を牛耳ってきたからである。
彼等は、反体制、反権威、反権力思想に凝り固まっているのである。

そして、管理と規律を否定してきた。

人には、人それぞれ立場があり、立場によって言う事も発言内容も違ってくる。
その違いを認めようとしないのが現代である。
また、人の立場の違いを認めさせようとしないのが、学校である。
なぜならば、それが平等だと錯覚しているからである。
しかし、これは両刃の刃なのである。
人それぞれの立場を認めなければ必然的に先生の立場もなくなる。
それ結果、教室から規律が失われ、先生は、生徒達を統制する事ができなくなった。
そして、学級の崩壊、学校の荒廃を招くことになる。

社会組織は、全体と部分がある。
全体を束ねる者と部分を担う者には、自ずと立場の差がある。
その違いは、公の立場と私の立場の差を生じる。
公私混同を招くのは立場の違いを認めようとしないからである。

組織には、指示する者と指示されるものとがいる。
報告する者と、報告されるものがいる。
そのような関係によって組織の構成員は、組織内部に位置付けられる。

立場、立ち位置が違えば、権限や責任も違ってくる。
求められることが違うからである。

組織、社会を構成する人には、それぞれ立場があり、立場によってやる事も役割も違ってくる。
指導的立場の人間と部分を担う者とではやるべき事は自ずから違う。間違った平等思想に染まった人間は、人間を一律にとらえようとする。しかし、一人ひとりの個性を認めない事は最も不平等なのである。


権利と義務


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