教育の理想を求めて

プライバシー


プライバシーの問題は、公と私の問題でもある。
私的領域に一線を画すのは大切である。
しかし、だからと言って何でもかんでもプライバシーを優先していいという訳ではない。
大体、私的領域の範囲を画定するのは公なのである。
公的権力の在り様によっては、私的領域は著しく制限されもする。

人間は一人では生きられない。
確かに、横井庄一や小野田寛郎のように何年も一人でジャングルに潜んでいたなんて例もある。そこまでいかなくても一人で部屋に何年も引きこもっている人は数多くいるかもしれない。
しかし、それでもあえて人は一人では生きられないと言いたい。つまり、人として生きるためには、一人では人は生きられないのである。自分が人であり、人間らしい生き方をしようとしたら人は一人では生きられない。

人間は社会的動物なのである。
故に、私的領域を無制限に拡大したら社会、組織は成り立たなくなる。

我々の世代は、他人の干渉を極端に嫌う傾向がある。
それが、一人の人間として社会の中で生きていこうとした時、深刻な問題を引き起こす原因となる。

自分と他人との間に適度な距離を保つ事は、社会人として不可欠な作法である。
それは、社会人として自立した生活をするために、社会へ出る以前に身につけなければならない最低限の素養である。

いつまでも干渉されるのは、嫌だと他人を拒絶していたら適度に距離を保つ技術を身につける事はできない。
問題は、社会人になる以前に誰がそれを子供たちに躾けるかである。
その点において学校は極めて冷淡である。




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