教育の理想を求めて

基本について


今の子は、黙って座っていれば、ご飯が出されると錯覚しているように思えてならない。
そういう風に育ててしまったのは、我々なのだけれど、これは深刻な問題を孕んでいる。
なぜならば、食事の事だけに限らす。あらゆることにこの勘違いは及んでいるからである。

例えば、何かの会議や打ち合わせの日を決めたとして、日を決めるだけで、何もしようとしない。
何月何日に会議するよといっても、ハァーという感じで何を言われているかがわからない。
資料を作ったり、事前に打ち合わせをしたり、必要な事を用意しなければならないという事に頭が回らない。資料や事前の打ち合わせ、必要な準備を忘れるなんて序の口で、会議の場を準備したり、出席者に連絡したり、事前に議題だの内容を通達しようという事も思いが回らない。
そういったお膳立て、根回しはすべて誰かがやってくれると思っている。
だから、会議の日が決まったら、会議室に行けばいいと思っている。
その癖、何の準備もできていないとか、知らされていないとか、何を話していいかわからないとか文句を言う。
当たり前な話である。自分たちが何もしていないから、何もできないのである。
だから、無駄に話して時間ばかりが過ぎていく。

会して議せず。議して決せずなんて以前の話。

会議を開ける状態ではないのである。

要するに、食事をしたければ、注文するか、自分が作らなければ料理は出てこないという事に気が付いていない。
ただ黙った座っていれば、母親が何でもしてくれた。それが当たり前な事のように錯覚している。

自分の友人も、男三人兄弟だが、母親が返ってこなければ、兄弟三人何も食べずに、食卓の前に座って待っていたという。

それが仕事っぷりに現れる。

いつまでもパパ、ママではない。
自分で考え、自分で準備しなければ何もできないのだという事に気が付かないと大変な事態になる。

料理にしてもいきなりおいしい料理の作り方を教えてくれと言い出す。包丁の握り方もわからないというのにである。
その癖、包丁の握り方から教えようとすると、私は、料理を習いに来たので、包丁の握り方を教わりに来たのではないと急に怒り出す。

包丁の扱い方を理解しなければ料理は教えられないといくら言っても聞かない。
包丁だの下ごしらえだのの話をし始めると私はそんなことを教わりに来たわけではない。美味しい料理の作り方を教わりに来たのだと人の話を聞こうとしない。
人の話を聞かないくせに、私の話を誰も聞いてくれないと言い出す始末である。

現代人は、主婦を馬鹿にするが、主婦というのは、プロの料理人でもかなわない実力がある。
夕食を何にするかを決めてから準備を始める。これも当たり前な事なのである。

何にするかも決めずに適当に買い物をしてそれから何を作ろうか考えても無駄が多いばかりである。

しかも専業主婦は、プロの料理人なら決まったメニュの中から同じものを作ればいいが、毎日、その日の状況や家族の好みに合わせ、なおかつ経済的なものを考えて料理をする。本当に専業主婦というのは、高度な技術と知識が要求される。
しかし、そんなことはお構いなしに、黙って座れば料理が自然に供されると思い込んでいる人が多い。

結局ママがいなければ何もできないくせに、母親ょ奴隷のごとく使う。感謝もしない。そんな子供にしてしまっている。彼らが成人の歳になった時に後悔しても手遅れなのである。

二十歳どころか、五十を過ぎてもこの道理がわからずに、ああだこうだと批判するだけで何の仕事もできない人間が増殖しているのである。



何度九月の全体会議は、九月のための会議ではないんだよと言ってもわからないんですよね。
九月の全体会議は十月の会議であり、七月にスタッフ部門に指示を出し、八月に現業部門に指示を出し、九月に確認をして十月に実施する。
それが九月の全体会議の目的であって、九月だけを見ていたら十月実施は不可能だというのですが、十月に実施する事は、九月の全体会議に指示すればいいと思い込んでいる。
それでは、少なく見積もっても一か月遅れ、しかも、過程を無視しているから、管理不能な状態に陥る。
それで時間がない時間がないと慌てて、遣っ付け仕事になる。それでもこれまでの惰性で動いているうちはいいが、甘く見ていると、そのうち大惨事を興すよと注意しているのですが、なかなか理解できない。
彼等は、逆らっているつもりではないんでしょうが、結局、無自覚に逆らっている。
管理の根本がフィードバック管理になる。フォーワード管理ができない。
すべての作業が後付けになるために、工程管理が不可能になる。
尻が頭になる。尻と頭がくっついてしまう。尻と頭が転倒すると言っているんですがね。特に、部門の責任者がこの点を理解せず、直前まで突っ張ってしまうから本質的な議論がされないままに独善的になる。
この点やっと統括責任者が気が付いてくれて軌道修正を測っているところです。

わかってます。わかってますというのが怖いし、絞めると今度は何もわかりませんと逃げますから。本当に世話が焼けます。

本当にいう事を聞かない。やれ自主性だ、主体性だ、個性を尊重してと上司の指示に従わない事を美徳としている。

言われた事を言われたようにするという基本がわかっていないし、できない。
それどころか、言われたことを言われた通りしてはならないと学校で躾ている。
独自性がなければならないとか、独創性、個性が大切と言って…。

任せてくれたのだからとか、責任を持たせてくれたのだからと言って報告もしなくなる。
何事も結果からしか判断する事ができなくなる。

言われたことを言われたようにすること自体難しいのに、言われたことを言われた通りしなくていいとなると、最初から、最初の構想が実現できることを諦めなければならなくなる。
その結果、上に立つものは何も責任が持てなくなる。

一つひとつに基本が失われてきていて、わからないならわからないと言ってもらって任せてくれればいいのですが、わかりましたと突っ張るばかりで。基本からしっかりやり直す必要があると痛感しています。

諦めない。逃げない。逃がさない。それこそが基本。



執務要領
報告・連絡・相談
手順・段取り
形を重んじる
仕事を学ぶ
チームワーク・集団活動を学ぶ
段取りをとる
仕事の論理
井戸端会議と会議は違う
仕事には始まりと終わりがある。
基本
仕事の基本
報告書の書き方
企画書の書き方
物事には順序がある
組織的意志決定
仕事について
組織は情報系である。
事前の準備

基本は形にある。
形式主義
形を重んじる

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