子供の世界


 教育って根本は、子供の世界なんですよ。大人の世界の論理では推し量れない。子供には、子供の世界がある。そして、それって実は、大人の世界の原点なんですよね。だから、むしろ、子供の世界の方に学ぶことが多い。

 子供の世界には、子供の世界の掟がある。その子供の世界の掟を破って、大人の世界の規則を持ち込んだら、子供の主体性なんて育ちようがない。

 子供達の世界は、実力主義である。子供は、子供なりの価値観、世界を持っている。その価値観、世界に照らし合わせて、子供なりの実力社会ができあがっている。そこでは、ガキ大将が実力者である。
 ところが、学校では、それを無視して、学校での評価を押しつける。その為に、ガキ大将は、学校では、問題児である場合が多い。学校での評価は、先生の言う事をよくきいて、おとなしくて、品行方正、お行儀のいい子である。要するに、学校が管理しやすい子である。また、評価の基準は、年に数回しかやらないテストの成績でいい点を取った子である。しかし、このような子は、実社会に出ると役に立たない、すなわち、問題児である場合が多い。子供達も、最初は、反発するが、結局、飼い慣らされてしまう。そして、最後には、ガキ大将がいなくなる。

 かといって、子供の自主性、自主性というのは、どうなのだろう。もし、子供の自主性を重んじるというのなら、子供を一個の人間として扱ってやる事だ。自主性を重んじると言っていながら、子供だから仕方がない。子供だから許すというのではおかしい。結局、子供と一緒に格闘してやることしかない。大体、自分だって子供を指導するほど、人間ができてるわけではあるまい。

 子供の世界は、ある種弱肉強食。そこで、遊びながら、生きていく為の術を学んでいく。遊びこそ、教育の原点である。子供の喧嘩に親は、口を出すな。それは、子供には、子供の言い分があるからだ。喧嘩をしながら、社会のルールを学んでいく。でも、その社会は、子供の社会の延長にある。大人の世界の模倣でも縮図でもない。生きた社会、子供の世界である。子供の世界こそ、次世代の社会の卵なのである。

 落ち着きがないというが、小学校入学したばかりの子が、じっと席に座っておとなしくしている方がおかしい。そう思っている方がおかしい。
 正常を異常と言い、異常を正常という。問題児をいい子と言い。問題のない子を異常という。

 ふざけたり、いたずらをすると、学校では、不真面目だと決めつける。しかし、多くの子は、真面目に、ふざけたり、いたずらをするのだ。おふざけやいたずらは、自己主張の目覚めである。そこには、主体性がある。遊びである。真面目に、ふざけたり、いたずらをするから、それを、受け止めることは、大変なのである。だからといって、ふざけたり、いたずらを、ただ、不真面目だと抑えつけてしまったら、遊びがなくなってしまう。遊びのない人間は、自分を抑制する術を知らない。だから、世の中に抑制のきかない犯罪が増えるのである。大人の論理、大人のルールで考えるから、子供の世界が解らないのである。子供達は、友達や仲間とじゃれ合いながら、大人の社会のルールを身につけていくのである。自然界、動物の世界を見れば解る。小猿は、ふざけ合いながら、群の掟を覚える。隔離された小猿は、集団生活ができなくなるのである。ところが、人間は、子供達を隔離しようとしている。それが自然だという。馬鹿げている。それは、人間だけ自然ではないのだと言っているようなものである。

 さあ、今、一度、原点に立ち返って考えてみよう。子供たちが何のために勉強をするのと聞いてきた時、人生いかに生きるのかを知る為に、そして、生きていく為に、必要な知識や技術を身につける為よと、堂々と答えられる。そのうえに、世のため人のために役に立てるようになる為よと、迷うことなくいえるような教育、それが、我々が目指す教育の在り方なのではないだろうか。




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