教育の理想を求めて


お父さんになる。



家内に息子の友達は、凄いうちの家族ばかりで息子が肩身が狭い思いをしているみたいと言われた時は、正直がっかりしたな。
でも、だからといって今の自分を変える気もない。
でも、心が少しぐらついたのは情けないな。
自分は、何もない裸の自分を誇りの思えるようになって欲しかったし、そういう生き方をしてきたつもりだ。
そして、名もなく、地位もなく、富もないままに、一人朽ち果てられれば最高だと思う。
そんな父親になりたい。
人の目を気にして、自分らしくない生き方をするくらいなら、何もかもかなぐり捨てて信じた道を突き進めれば良いと思う。

所詮最後は一人なのだ。
地位も、名誉も、富も残せなくとも、息子達の世界をひたすら、ひたすら守るために全身全霊で働ければそれで本望ではないか。
確かに、息子に何も残してやれないけれど・・・・。
ただ自分が父親として生きたという証だけは残していきたい。
それは全力で自分の人生を生き抜くことだ。

良いお父さんになろうとするから苦しいのである。
お父さんを演ずるのではなくてお父さんになる。
父親だって人間なのである。
ただ、父親になる覚悟をしないで、一夜の快楽によって親になることがどれほど恐ろしいことか自覚すべきなのである。
父親になる覚悟もないままに父親になるから子を虐待するのである。

父親を演ずるのではなく。一人の人間として生きていく事である。
父親を演ずるのではなく、父親になれば良いのである。

自分が良い父親だったか。
それは甚だ心許ない。
現に息子からみたらだらしない父親にしか見えないかもしれない。
運動もしないし、勉強だって見てやれない、車の運転もしないし、でも、自分は自分なり懸命に生きている。
それだけしか自分にはできない。

良い父親になる前に、人として恥じることのないように生きれば良いし、息子に蔑まれても信じるままに生きることしかないのである。


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