教育の理想を求めて

状態を作る。


事務方の仕事というのは、状況、状態を作ることだと私は躾けられた。
すなわち、会議を主催すると言う事は、会議が開ける状態を作ることであり、会議そのものを左右することではないと言う事である。
この様な思想、発想は段々通用しなくなりつつある事を私は、最近感じる。

状態、状況を作る以前に内容に突っ込み、会議を開く以前に結論を出せようとするきらいがある。

我々は、事務方は敢えて内容に首を突っ込む必要はないと言われたものである。
準備をする者は、内容を知る必要もないし、内容を知ることでかえって弊害になることもある。

試合を準備する者は、試合についてああだこうだ言う必要もない。試合ができるようにするのが任務なのである。
試合場を警備する者が試合に気をとられていたら任務は果たせない。
試合を警備する者にとって勝敗は二の次なのである。
料理を作る者は料理の味は大切だが、それは自分が食べるためにではない。
目的を間違わないことである。

やる気があるかないか、それは、できる状態を作ろうとしているかいないかで判断された。
つまり、会議の準備をするよう指示された場合、会議を開ける状態にしようとしているかどうかで、その人間が、指示の目的・真意を理解しているかどうかが判断されたのである。
更に、どの様な会議を開こうとしているか、いつ、どこで、誰と、何をしようとしているかによって、なぜ、その会議を開こうとしているかを、指示された者がどの様に解釈をしていることが推し量られたのである。会議の内容や結果について、どう考えているかは、問題とされないか、二の次にされた。事務方や管理者が下手に会議の内容に自分の考え意見を差し挟んだりした場合、余計なことはしなくても良いとかえって叱られたものである。なぜなら、事務方には、中立的な立場が求められたからである。どちらかの考えに傾くと準備に思わぬ支障が生じることがあるのである。

いくら講釈をたれても料理人が定刻までに食事ができるような状態にできなければ、料理人としては失格である。準備する者は評論家になってはいけない。

切符を買ってこいと指示されたら、切符を買える状態にするのは、指示された側の責任で、指示の要件を満たさなかった場合のみ、例えば、日時の指定がなかったり、行き先が特定されなかったりした場合を除いて指示された側の問題とされた。指示者側が指示の要件を欠いていたとしても指示された者が質問しなかった事が問題とされたのである。

時には、指示者は要件を欠いた指示をする。それは、指示された側に質問をさせることで、指示された者が指示された内容を正しく理解しているか、また、指示者側も自分の指示したことが妥当であるかないかを確認する意図が隠されているからである。

そんな時に安易に解りましたなんて言うと怒られたものである。
つまり、それで仕事ができるか、仕事ができる状態、確証もないのに、安易に安請け合いするなという意味合いである。

可能な状態、できる状態、会議が開ける状態に準備しようとしない限り、おまえは、やる気がないと決めつけられて叱られたのである。

そのためには、一体、指示者がどの様な状態にすることを望んでいるのかを予め知っておく必要がある。また、共同で作業する者に周知する必要がある。故に、冒頭の会議で、指示者の真意を確認しておくことが肝心、要なのである。

裏方、事務方の仕事は、決定権者が意志決定をできる状態、また、会議の主催者が会議を開ける状態、会議で検討できる状態、旅人が旅に出発することができる状態を作ることにある。そして、それがマネージャーの仕事である。
料理人は、客が食事ができる状態を作ることが仕事なのである。客に変わって料理を食べたり、批評することが仕事なのではない。それこそ本末転倒なのである。

会議の結論は、会議で出せば良いのであり、会議を準備する者は、会議の結論を出したり、会議の内容を討論することが仕事なのではなく、会議の目的に沿って会議を開き、会議を効率よく進行できる状態にするのが仕事なのである。

それを会議を開く前に延々会議の内容について議論したり、或いは結論じみたことを出す事に汲々として会議の準備が疎かになったらなにをか況んやなのである。

可能な状態にするためには、形が重要となる。
そして、可能な状態にするのが、裏方、事務方本来の仕事なのである。

最後にいえる事は、自分の能力を発揮したければ、自分の能力が発揮できる状況や環境を構築する事が大前提となる。
無能な上司にとって無能な部下は、ありがたい存在でもある。なぜならは、自分の無能さを部下の責任に転嫁する事ができるからである。この様な上司は、時には、有能な部下が能力を発揮する事ができない状況や環境に追いやる事がある。この様な場合は、有能な者は立ち去るか、自分の能力が発揮できる状態に環境を変えるかするしかない。

自分が適正に評価されないのは、自分の能力、適性を理解していないか。又、自分の能力を発揮できない状態に置かれているかのどちらかしかない。
投手として評価されないのは、投手或いは野球そのものに向いていないか、試合に出してもらえないのかのいずれかである。

いずれにしても自分の能力が発揮できる状況環境を作り上げる事が先決なのである。


形に学ぶ。形を学ぶ。形で学ぶ。
形について

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