教育の理想を求めて

何を望んでいるのか



現代は、何事も結果オーライ。動機が不純でも、結果がよければ、許される。
どんなに動機が純粋でも結果が悪ければ否定されてしまう。
だから、動機なんて関係ない。

でも、本当に大切なのは動機です。自分が何を望んだかかです。
自分が何を望んでいるかの裏側に自分の意志が隠されている。

自分の人生は、自分の人生なのだから自分の望むように生きなければ意味がない。
なぜなら、自分の意志だけで決められるのは、自分の人生なのだから。
自分が望むような生き方をする事が大切なのです。

動機を構成する部分は、なぜという問いかけによって形成される。
なぜ、勉強をする必要があるの。
なぜ、学校へ行くの。
こういう部分は、とりあえず省略して、結果だけ求めるように仕向ける。
なぜなら、動機の部分というのは、生き方に関わる問題だからである。
だからとりあえず学校へ行って成績を見て判断するように仕向ける。
そして、成績が悪ければ、なぜ、なんて聞く事は許されない。
そんな成績でそんなつまらない質問なんてしないで、勉強しなさいと片付けられてしまう。

逆に、成績がよければ、更に上を目指す事を要求される。
だから、なぜなんて聞く事は最後まで許されなくなる。
そして、結果が全てを規定するようになる。
それでは本末転倒である。
いつまでたっても自立なんてできやしない。
何せ、自分という物がないのだから・・・。
主体性がないのだから・・・・。
それでもって主体性をもてもないものである。

主体性がもてないようにしておいて、主体性がないと叱るのは、愚劣である。

ただ望みと欲望は違います。
自分が欲する事は何でもしていいというのではありません。
自分の望む事をしろと言っているだけです。

勉強が嫌いなら止めなさいと言う勇気も必要なのです。

かつては、自分の師は、自分で選んだのです。だから師弟の絆は何よりも強かった。
自分が望んだ師だからどの様に厳しい指導にも耐えられた。
自分の師を尊敬する事もできた。
今の先生は、望もう望まないと最初から他人に決められている。
そして、決められた事を決められたようにする事があたかも正しいように教えられるのです。
だから、教えられた事を教えられたように答える事が勉強だと錯覚する。
学問、勉強の根本には、自分の問題意識がある。
なぜという問いかけがある。

だからなぜと問う事が許されなければ、勉強なんて成り立たない。
そして、なぜと問うた根本に自分が本当は何を望んでいるのかがある。


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