教育の理想を求めて

心の病


いじめというのは、どこにでもあるし、世の中に出たら、ある意味で日常的なことになります。
だから、いじめそのものが問題と言うより、いじめられた時、どう対処したか、周囲の人間がどの様に支援したかが重要なのです。それを間違うと、自己否定を誘発してしまう。
要は、いじめられた時、いじめられた者に対して周囲の人間がどの様に対応すべきかが問題なのである。
その人を無視したり、否定したりすると自己否定れたように思い込む。ドラえもんは、ある意味でいじめられっ子の救世主です。
ドラえもんがいい例です。ドラえもんはいじめっ子といじめられっ子が共存しながらそれをどの様に克服していくかのドラマだと見ることができます。そして、子供達にはいい教材なのです。そこから何を学ぶかです。いじめっ子も仲間、いじめられっ子も仲間。仲間同士でいじめても、いじめられてもかばい合い助け合い何かを学んできた。その関係がなくなってしまったことが問題なんです。
いじめられたからと言って親が出てってもいいのか。干渉してもいいのか。そんなことを言っているのではなく、どうしたら、強くなれるか、克服できるかを伴に考え伴に悩むことだと思うのです。

人は生かされているという時代があります。その段階から生きている自分を自覚するようになります。そして、最後に生きる、つまり、自分の意志で生きるという段階に至ります。
自分を超えたなにものかに生かされているという段階から、自分が生きているという自覚を持ち、そして、自分の力、意志で生きていくのだと覚悟するようになる。
その時、自分が感じた事を率直に周囲の人間に表現した時、ただ力尽くで、意味もなく押しつぶされたら、自分をもっこと事態が悪いと思い込んでしまう。
それでも自分の考えをぶつけていけば反抗していると見なされる。それを反抗期とするのはあまりに短絡的である。
大人こそ、自分が面子を潰されたと反発しているのに過ぎない。

自分で生きようとして、自分の周りにある矛盾に目を向け何かを感じたのに、周囲の人が理解できずに、無視したり、否定すると自己を否定し、自分の心を押し殺してしまう。
正しいと信じたことが否定され、無視され、矯正されてしまう。
疑問を持ったり、主張することが悪い事のように思い。自分を押し殺し、心の奥底に閉じ込めてしまう。
そして、周囲に迎合し、本当の心を抑圧する。
なぜ、なぜというのは抑圧された自分の心の叫びである。
いい子になろうと振る舞えば振る舞うほど頭が変になり、自分でも理解できない言動を取るようになる。
周りの目を気にして、自分を粧うようになるからです。

そして、抑圧された自分の心がいろいろな悪さをするようになるからである。感情の起伏が自分で抑制できなくなったり、泣き出したり、笑い出したり、人格が割れたり、決断できなくなったり、逃避的になったり、妙に自虐的になったり、自信が持てなくなったり、言葉が急に出なくなったり、意味不明なことを口走ったり、自滅的な行為に走ったり、意味もなく怒ったり、しっかったり、無駄使いしたり、拒食症、過食症になったり、浮気をしたり、自殺未遂を繰り返したり。これは、皆自分の心が自分対して攻撃的だから引き起こるのです。更に進めば、幻聴を聞いたり、幻覚を見たり、自分の声が外から聞こえたり、自分でも抑制のできない衝動に襲われたりもするようになる。
この様な行動は、根本的な問題、すなわち、自分の心をとりも出さない限り治りません。
なぜなら、自分がないからです。自分で自分のことを判断していないからです。心ここにあらずだからです。自分が許せないから。

自分を許し、自分の心に耳を傾け、自分を好きになり、自分を愛することです。

禅にこんな教えがあります。
池に映った月は影に過ぎない。池に石が投げ込まれて波立った時、水に映った月は、乱れるかもしれない。しかし水に映った月は影に過ぎない。月そのものに何の変化もない。水に映った月が乱れたと言って何を慌て騒ぐのか。世の中がどんなに変わろうとあなたはあなたなのです。周囲がなんと言おうと、あなたが変わらなければ、何も変わらないのです。大切なのはあなたの心なのです。

ある人が自分は子供の頃いじめにあったでも勇気がなかったから死ねなかったと言いました。それは勇気がなかったからではありません。

お釈迦様は、世の中には、三つの欲望があると言っています。
その第一の欲望が物欲ですね。食欲とか、性欲とかですね。第二の欲が生きたいという欲。第三の欲が死にたいという欲。凄いでしょ。お釈迦様は、死にたいというのは欲だというのです。
だから、勇気でがなくてではなく。その人は、欲に打ち勝っただけです。
それと、ラマンチャの男というミュージカルがあるんですけれど、その中でドンキホーテが狂っているというけど、ではこの世の中に狂っていない人間がいるのかと問いかけます。皆正常ではないではないかと。世の中の人間全て狂っている。夢に溺れるのも狂気なら。今の世の中、黙って受け入れて生きていくのも狂っていると。皆が狂っているとしたら、何が許せない狂気かというとあるがままの社会を受け入れて仕方がないと諦め、あるべき姿を求めない狂気だというのですね。

結論的に言えば、心の病を治す為には、自己を解放する以外にない。
そして、教育の究極的目的も自己の解放にある。
自分に反した行動を無意識にしていると自分の心が自分に離れていく。
自分で自分を罰するようになる。
それが昂じると自己崩壊に結びつくからである。



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