教育の目的

悩み苦しんでいる時に
何を教えるべきなのか



今の学校は、生徒と向かいあっていないそれが問題なのである。
生徒が悩み苦しんでいる時に、何を教えるべきなのか。
子供が悩み苦しんでいる時に、何もなしえないとしたら教育なんて虚しい。

生徒が悩み苦しんでいる事と真っ向から向き合わないで何を教えようというのか。

現代の教育は何を目的としているのか、何を教えようとしているのか、まるで解らない。

テレビでは、熱血教師のドラマが大好評を博する事が多々ある。
しかし、それも教師としての理想像としては私には思えない。
それは、根本的な哲学思想が見えてこないからである。
情熱だけでは生徒はついていけない。

人間として如何に生きるべきか。
多くの子供達は、その一点で悩み苦しんでいる。
一人一人の悩みや苦しみと向き合っていかないかぎり、真の教育の目的は見えてこない。

思春期や青春期というのは最も多感な年頃である。いい友達やいい師に出会い、一生つきあっていく人間関係を作らなければならない。
その時に、生徒一人一人の考えを導き、正しい事を教えてやらなければならない。
そのためには、確固とした思想や哲学が必要とされるのである。
その思想や哲学が決定的に欠落している。
どうしたら、生徒達を導けると言えるのであろうか。

学校では思想や哲学は一種のタブーである。それでは子供達はついて行けなくなる。
本来学校は人間形成の場なのである。
学校教育に携わる人々にその自覚が稀薄である。

指導というのは、指導者がやるべき事なのである。
指導の根本は、思想であり、哲学である。
その思想や哲学を否定してしまったところに現代教育の底知れない闇がある。

人間如何にあるべきかを明らかにできないで、何を教えようというのか。
目の前で悩み苦しんでいる生徒達に何も教える事ができないとしたら何を教えようというのか。
学校の根本はその時崩壊しているのである。

そして、今の教育には、生徒にも先生にも親にも選択肢がない。
それがますます教育を堕落させているのである。

学校を選び、師を選ぶ自由がないのである。
それでは教育の自由など意味はない。
しかも学校を選ぶ基準は偏差値だとしたら、なにをか況んやだ。

無目的、無思想でただ成績や試験の結果ばかりを追い求めていれば学校が荒廃するのは必然的な帰結である。

確かに、日本人は戦争に負けた。しかし、戦争の原因を戦前の教育にのみ求めるのはおかしい。改めるべき処は改めるべきだが、継承すべき処は継承すべきなのであろう。
何が間違っていて何が正しいのか。その見極めもせず、戦後、戦前の全てを否定してしまったからこそ、今日の教育の混迷があるのである。

日本人としてどの様な国民を育てるべきなのか。
真剣に話し合うべき時なのである。
そのためには、民主主義とは何か。自由とは何か。それを我々の言葉で語り合えるようにならなければならない。


指導要領





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