普通・平凡

普通・平凡



自分は、つくづく平凡で普通だなと思っています。
僕は、決して卑下して言っているわけではありません。
平凡で普通でいいと思っていますから。
今の世の中、何でもかんでも競わせて一番でなければならないと思い込んでいるみたいです。
でも、一番なんて、日本中で一人しかいないわけですよね。
そんな事競わせてしまったら何が残るんですかね。
一番である事より、良い人生、良い会社であればいいと思うんです。
世の中には、平凡で普通の人の方が多いんですからね。
要するに目的ですよね。一番になったところで、他人を蹴落とし、叩きつぶして何になりますか。
お互いにライバルを讃え、切磋琢磨する為の競争なら良いのですがね。

僕は、できるだけ多くの人を幸せにしたい。平凡で普通の人間を幸せにしてやりたい。
そのために、僕は、仕事をしているのだと思うのです。
だから、自分は、平凡で普通でいいと思っているのです。

人並みとか、普通とか、平均的というのは、どういうことなのであろう。
誰から見て人並みだというのか。
何を基準に普通だとするのか。
平均とは何に対して平均なのか。
結局、自分の決めつけに過ぎない。
自分勝手な決めつけかもしれないが、
抜群にできるとか、優秀だと実感した事はない。
それはそれで自分はいいと思っている。
生きるとは、自分の道を歩き進むしかない。
百年に一人の逸材であろうと、天才であろうと、人は人である。
何が人並み優れていて、何が優秀かではなく。
何を自分は目指して前進しようとしているのかである。

その意味では、人並みでいいと思っているし。普通でいいと思っている。
天才になろうとも、英雄になろうとも思ってはいない。
ただ平凡であれば良い。

恵まれているし見える者にも人並みな悩みや苦しみがある。
何も取り柄のない者にも、望めば、普通に幸せを実現できる。
大切な事は、普通に悩み、苦しみ。
大切な事は、人並みな幸せを望む事である。

金持ちも金の問題で悩んでいる。
成功者は、失敗を怖れているし。
権力者だって力に怯えている。
美しい者は、衰えを許さない。

現代人は、人と人とを競わせて、何でもかんでも一番になれとあおり立てる。
一番にしか価値がないかの如く。
でも一番になる事だけが生きる目的だろうか。
世界で一番は、世界に一つしかない。
しかし、一番になったところで、所詮、神は越えられない。
一番になった事を楽しむ心のゆとりがあるならば、一番になる事も悪くはないが、
一番になる事を生きる目的にしてしまったら、後がなくなってしまう



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