私は、待っている。


私は待っている。



 私は、ずっと待っている。

 こう言うと不思議に思われる方がいるかもしれないが、私は、経営者になってからずっと待っているのである。

 待ちの経営ですかとか言われそうだが、そうではない。

 第一に、会社を経営する目的は、会社を大きくしたり、金をひたすら儲けることだと私は思っていない。

 それに、経営者の思いつきによる独断が、どれほど、部下を苦しめ、また、会社の経営にとって弊害だったかを思い知らされているからである。
 トップの思いつきによる独断は、止める者がいずに、歯止めがきかなくなる。うまくいく時もあるが、大体、仕舞いには事業を土台からつぶしてしまうのがオチである。多くの指導者が陥る穽(おとしあな)である。

 部下が犯した過ちは、トップにある者によって許される。又、何らかの処罰によって諫め、改めさせることでる。
 しかし、トップを許すことのできる者はいないのである。トップが処罰を受けることは、組織全体が処罰されることを意味する。だからこそ、上に立つ者も責任は重大であり、自分との戦いなのである。

 会社経営の目的は、ともに働く人を幸せにし、取引業者にもうけてもらい、また、お客様に喜んでもらうことにある。
会社を大きくしたり、利益を上げるのは、目的ではなくて、手段であり、また、結果である。
その点を間違うと経営は、目的から大きく逸脱してしまうことになる。

 何を為すかが問題なのではなくて、何を望んでいるかである。
 要は、会社を大きくしたり、金儲けをすることではなく、どんな会社にしたいか、どんな仕事をしたいか、どんな国に、どんな社会に、どんな家族にしたいか、どんな生き方をしたいかである。

 私が仕事をするのは、有名になったり、偉くなったり、出世したりすることを最終的目的としているからではない。

 どんなに会社が大きくなったとしても、どんなに、利益が上がったとしても、働く者が鬱々として喜ばない様な会社を真に繁栄といえるだろうか。利益のためにと悪事を働いていたら、本末転倒である。

 目的は、何を望むのかにある。
 私が望んでいるのは、志を同じくする者のために、事業を継承することにある。

 私が仕事をするのは、志を同じくする者のためである。
 むろん、仕事仲間とは、利害をともにしている。しかし、その利害を超えて、運命をともにできる仲間、いわば、同志をいかにして仕事の中に見いだすか。それこそが、仕事をする私の目的なのである。

 自らのために、謀らず。それが私の鉄則である。私欲のために謀れば必ず露呈する。策略とは斯様なものである。
 怖れるべきものがあったとした、自分である。
 自分で自分をいさめるのは難しい。
 況や自分で自分を許すのはなお難しい。
 過ちを犯した時、自分を糾すことも、許すこともできないとしたら、最初から自分のために謀(はかりごと)をしないことである。
 それが私の信条である。
 欲望に弱い者は、禁欲すべし。

 自分にできないのならば、自分に変わって夢を語り、実現する者を求めなければならない。
だから、私は、待っているのである。
 そして、私は、責任をとる。

 次の世代のためを受け入れ、次の世代を認め、道を譲ることがどれほどつらく難しいことか、骨身に凍みているからこそ、私は、自分に続く者を待っているのである。

 皆が何を望んでいるのかを話してくれることを私は待っているのである。

 失敗したことで部下を責めることのないように心がけているのである。
 なぜならば、部下を責めれば、部下は、誰も、望みを語らなくなる。

 いつか、大きな夢を望み、それを自分に託してもらえるような人間になるために、少なくとも、自分にその夢を語ってもらうためには、失敗したからといって人を責める訳にはいかない。そんなことをしたら、誰も自分に夢を語ってくれなくなってしまう。
 それに、失敗は覚悟の上で、受け入れたはずなのだから。

 金が儲からないとか、規模が小さいといったことで思い煩うのは本来の目的を忘れているからである。

 それなら、最初から事業など興さないことである。

 だから、私は、待っているのである。
 ともに、夢を語り合い、一つの目標に向かって事業を興す者達を・・・・。
 私は、待ち続けているのである。


 なぜ、何のために、誰のために・・。


 高校野球で選手より有名な監督というのは稀にしかいません。監督なんて無名な方がいい。
 僕は、現役の経営者も同じだと思うのです。経営者が有名になりすぎるのは、余りいいことではないと私は思います。 大切なのは、社員一人一人です。社員一人一人の才能をいかに引き出すか、それが大切なのだと思います。社員を部品のように考えるような経営者にはなりたくない。ひとは、それをきれい事で偽善者だと言いますが、所詮、会社は人間関係の塊です。一人一人の社員は血の通った人間であり、泣いたり笑ったりして生きているのですし、家族もいる。
 会社というのは、一人一人の人生の舞台だと僕は思うのです。 会社を単なる金儲けの道具だと思えば、経済の本質が見えなくなる。僕はそう唱えているのです。国民を幸せにできない国は存在意義がないのと同様に、社員を幸せにできない、会社は、存在意義がありません。なんのための金儲けかが解らなくなるからです。金儲けは手段です。目的は、社員やお客様、取引先を幸せにすることです。だから、無意味に会社をでかくする必要はありません。
 ただ、社員を幸せにしようとしたら相応に会社は成長するのです。
  以前、いかに会社が栄え、収益を上げたとしてもそこに勤める社員が鬱々として喜ばない会社は、本当に繁栄していると言えるのだろうかと問いを発したことがあります。ぼくは、理屈ではない伴に働く仲間達をいかに幸せにするのか、それが経営者第一の使命だと考えています。 だから、僕は待っているのです。待ちの経営と言われても社員が自分達の意思で、自分達の会社を良くしようと奮起するのを待ち続けているのです。






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