慟哭


慟    哭


前略 母は、一人で泣いていたのだと思う。
父が療養中の時、母は、宿で泣いていたのだと思います。
大きな声を上げて慟哭するのではなく。
ただ、声を押し殺して泣いていたのだと思う。
それは、涙がジワーとこみ上げてきて、ただわけもなく頬を伝わって流れていく。
哀しいとか、辛いとか言うのではないけれど、涙が流れて仕方がない。
母は、漆黒の闇の中で一人泣いていたのだと思う。
母は、物心がついた頃、実の母を結核で亡くし、寄る辺なき人生を送ってきました。
老いても時折、祖母に対する恨み言を口にする事がありました。でも、祖母を慕う気持ちは抑えきれません。
母は、祖母の親戚の家に祖母が亡くなってからしばらく預けられたそうです。その後に、祖父の家に戻された聞きます。母が、祖父の実家に帰り、祖父の家の者に遊びに連れ出されているうちに祖母の親戚は、立ち去っていたといいます。
その時は、母は、大声を上げて泣いたそうです。ただ一人残されて・・・。
祖父は、仕事で満州に終戦までおり。その間、母は親戚の家に一人預けられていたそうです。母は、親戚に預けられ父と結婚するまで一人で生きてきました。
母は、父と結婚をして、やっと自分の居場所を見つけたのかもしれません。
父は、母をいつもおまえはノー天気だとからかっていました。それは母がいつも朗らかだったからだとおもいます。考えてみれば、一人で生きてきた母は、朗らかにしていなければ周囲の人の関係を保てなかったからかもしれません。
今思えば、家族というものを知らない母の子育ては、どこかぎこちなかった気がします。
それでも、母にとっては、それは、はじめて知った家族の絆のかもしれなません。その家族の絆を護るために、無我夢中になって生きてきたのでしょう。
又、一人になってしまう、そんな思いを母は抱いて一人泣いていた気がします。
母は、今一人で生活をしています。
一人で生きていく事を望んでいます。
なぜ、多くのお年寄りは、故郷で生きる事を望み。子供達のいる都会生活を拒むのでしょう。自分達が生きてきた世界とは異質な世界だからではないでしょうか。血の繋がりが薄くなり、同胞がいないからではないでしょうか。日本が日本ではなくなってしまったからではないでしょうか。
戦前に生まれ、戦争時代に青春を生きた抜いた人達には、何か堅くなまでに自分の世界を護ろうとする傾向がある気がするのです。それは焼け跡派と言われる連中とも違う、何か、今という時代を心のどこかで拒んでいるような・・・。
私の事は良いよ、自分の好きな事をして生きていきなといいながら、決して相手の世界を受け入れようとはしない。それでいて、人一倍人と人との繋がり求めている。かつて、家族といわれた何かを求めて・・・。
母は、多くの隣人や友達、親戚を、戦争によって失ってきた人達に共通した心の痛みを押し隠して生きてきた気がします。戦後の繁栄を享受しながら戦争で逝った人々への後ろめたさ、自責念が心のどこかにあって、かつて敵国だった国の価値観を素直に受け入れられない。そんな、複雑な思いが、今という時代を拒んで、自分だけの世界に年と伴に沈殿していっている様に私には、見えるのです。
だから、哀しいとか、辛いというのではなく、自分一人でいる時、ふとした弾みに心の奥からふつふつと沸いてくる何とも言えない記憶が涙となって頬を流れていくのでしょう。
今の若者は、理屈が言える。でも理屈が通用しないところに母達は生きているような気がするのです。生々しい愛憎によって突き動かされている世界にいる気がします。
日本という国が失われていこうとする悲しさ。かつての日本人に対する鎮魂。それが、今となって、どうにもならないやるせなさとなってこの身を押し包んでいく。一体誰がこの悲しみを癒やしてくれるというのでしょう。
又、一人になって闇に向かって、なぜ、どうしてと問いかける。
故郷は今遠い記憶の中に霞んでしまい、故郷と言えるような場所は、現実にはどこにもない。
子供の頃に遊んだ、山や川は、どこにもない。
木や草の香りもない。
隠れて食べた干し柿や干し芋の味も今は忘れてしまった。
子供達は、電脳空間にある仮想世界に耽溺し、仮想空間を現実とする。
総ては、幻の中にある。
生身の人間の感情などどこ吹く風。
友と歩き、語らった道さえ今は夢の中。
何が哀しいのと自分に問いかけても虚しいばかり。
ただ、今まで何のために、誰のために生きてきたのか、それを確かめたいだけ。
自分が、時代に取り残されていくような茫漠とした想いが、涙となってふつふつと沸き上がってくる。自分達はこんな情けない世の中を作るために、生きてきたのであろうか。自分達の居場所を自分達でなくしてしまった。気がついてみたら、誰も、自分達に敬意をはらわず、話を真面目に聞いてくれる者さえいなくなってしまった。自分達の祖先が大切に護ってきた仕来りも伝統も古い事と頭から否定され、蔑まれる。
恩などといったら笑われてしまう。
恩などという言葉は、古くさくて、封建的な言葉でしかないのである。
恩義は、忘れられた。
助け合い、慈しみ合うなどと言うのは、現代人にとってきれい事でしかない。
きれい事にしか思えない。
それは哀しいというのであろうか、虚しいというのであろうか。
確かに、母達が懸命に働いた頃は、国中が物質的に貧しかった。
でも今は、心が貧しい。心が貧しい。
時代に取り残され、置き去られ。時代遅れと笑われてもなお、過去への憧憬は捨てきれない。私たちは国や家族を命がけで護ってきたんだと叫んでみても空しばかり。
申し開きも許されず。自分の言い分も聞いてもらえぬまま、母は、一人泣いていたのだと思います。
年をとったと言うだけで、なぜ、世間の片隅に追いやられ、世の中からは不必要なまるでゴミのような扱いを受けるなければならないのか。
老いは、人の活力ばかりか人間としての尊厳まで奪いさっていくのか。
一体自分の人生はなんだったのだろう。その心の痛みすら現代人は理解しようともしない。それは、心理学の世界の出来事なのであろうか。物理学的世界の出来事なのであろうか。経済学的な世界の出来事なのだろうか。それとも、魂の問題なのであろうか。
ただ、母は、意味もわからず、一人、布団を被って泣いていたのだろうと思う。
それは孤独と言うには、切なすぎる。また一人になるという喪失感にたえきれないから。
年をとるというのは哀しい。いつの間にか、笑顔さえ奪い去っていく。
あの戦後の混乱を夢中になって家族のためにと働いて生き抜き。気がついてみたら、家族は、夢幻のように消え去り、ただ、残されたのは無明の闇。
近所づきあいをしていた隣人はいなくなり、荒れ果てた故郷が残り、活気のあった商店街も寂れてしまった。
一人、二人と友は逝き。
母は一人残されていく。
思いっきり抱きしめ合いたい。笑いあいたい。泣きたい。
でも、今は誰もいない。虚空を抱きしめ、ぶつぶつ独り言を言って、乾いた笑いを鏡に向かってするしかないのか。
きっと私も一人で死んでいくのであろう。
何の因果、何が哀しいのか、それさえも解らずに、一人、壁に向かって泣くしかないのである。
今は家族の絆も灰でできた紐のように脆く。一陣の風が吹けば飛び去って言ってしまう。
何が大事なのか、豪勢な施設なのか。それとも手厚い制度なのか。金なのか。
それとも家族の温もりなのか、隣人の思いやりなのか、若者達の眼差しなのか、年長者に対する敬意なのか。
少しでも良い。自分達の人生を認めて欲しい。そして、我々のために犠牲になった人々の事をたまには思い出してくれ。
今の時代には、人生にも定年があるように想えてならない。人は、死ぬまで生きなければならないのである。
爺ちゃんが炉端で孫達に語った昔話。父から子へ、子から孫へと伝えられていく年中行事、仕来り。正月の門松や餅つき、お年玉。地域で熱狂する祭礼。七夕の願い。先祖を敬う盆。神の恵みに感謝する秋祭り。
母は、一人で泣く事さえ忘れてしまった。
年寄りだけの地域が生まれ、年寄りだけの家ができる。
若者だけにしか生きる価値はないのだと言わんばかりに・・・。
年寄りだからこそ、自分は必要にされていると実感したいのに。
年寄りだからこそ世の為に働きたいのに、人の為に役に立ちたいと願っているのに。
年寄りだからこそ生き甲斐を求めているのに。
現代社会は、生きる事の意義を問いかけようともしない。
人は木石ではない。
人には心がある。
涙がある。
人は生臭い生き物なのである。
神が信じられなくなってから人は未来を考える事を止めた。
老いて役に立たなくなれば切り捨てられるのがこれからの世の定めだ。
老いぼれには用のない世界になったのである。
情けない世になってしまったのである。
現代人は、ひたすらに、物や金に憑かれて深い深い暗黒の世界へと誘われているのではないだろうか。
今は、人の生活臭が経済から失われようとしている。
だから、経済から生き生きとした活力が失われ、無気力で魂を抜かれたような市場になってしまい、その反面で、ぎらぎらとした欲望が市場を占拠しようとしているのである。そのために市場は荒廃し、猛々しくどう猛で血に飢えた者どもが闊歩する戦場のように変貌しつつあるのである。
日本人。我々は日本人なのです。我々の時代に日本の山河を荒らし、日本人の魂を荒廃させ、日本の歴史や伝統を闇に葬ったら、我々は、自分達が回帰しなければならない場所を失い、未来永劫、彷徨うはめになる。
一人、母を泣かせ。一人、又、我も生きていく。それしか我々には残された道はないのでしょうか。
父が亡くなった時、母が求めたのは、祖母への思いだったのかもしれません。父の亡くなった時、母は、一人では泣いていなかった気がします。    草々
平成二十五年六月二十一日(金)






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