D 受験勉強


 受験戦争の中で、試験科目以外の学科は省みられなくなった。
 皮肉なことに、試験科目以外の教科に、こそ学校教育の本質が、隠されている。
 受験戦争が激化し、試験勉強が主となるにつれ、試験科目以外の教科の持つ教育的な効果が欠かせなくなった。
 試験勉強の主体が塾のようなものに移れば移るほど、残された教科にこそ、学校教育の本質が、あることが、明らかになる。
 美術や体育は、情緒情操を育て、健全な肉体を作る。しかし、深夜までおよぶ受験勉強は、不健康きわまりない。
 教養や躾、礼節やマナーは、人付き合いのためには、不可欠だ。受験勉強に熱中している間に、人との付き合い方を忘れてしまった。多くの友を失った。馬鹿げている。受験勉強に熱中する年令は、同時に、人生で最も大切な年代でもある。学ばなければならないことが沢山ある。
 
 反省とは学ぶ事である。
 試験が終わると受験勉強で使った教科書は、二度と見たくないと言う学生が多い。これでは、学ぶことはできない。
 過去や経験から学ぶためには、過去や経験を検証しなければならない。しかし、それまでの勉強の根幹を成す教科書を二度と見たくないと言うのでは、過去や経験を参考にすることはできない。これが学校教育の本質である。つまり、学校教育では、過去や経験は生かせない。
 過去や経験から学べなければ、現実から離れてしまう。なぜなら、過去の出来事や経験は、現実との接点だからである。しかも、勉強の課題が試験ごとにぶつ切りされてしまうと学習の連続性が失われてしまう。

 これからの時代は、誰でも、入ろうとすれば大学に入れる時代がくるそうだ。受験生より、大学の数の方が多くなるからだそうだ。しかし、試験制度を土台としている限り、受験の本質は変わらない。

 教育が、均一化、標準化を追求しているかぎり、試験は、試験である。教育が、社会の多様性、教育者の多様性、生徒の多様性を受け入れていかないかぎり、何も変わらないのである。

 何でも教えればいいと言うものではない。記憶させたり、教えてしまうことによってかえって障害が生じることもある。特に、試験の成績をよくする目的だけで、問題を解く技術だけを、教えてしまうと、物事の本質を理解することや考え方を習得することができなくなる場合がある。
 自分が大学で物理学を習った時、大学の教授が、受験勉強で習ったことは全て忘れるよう、特に暗記した方程式は、忘れるよう言われた。受験勉強で習って事は、役に立たないどころか学習の妨げになる。こう教授は嘆かれた。こんなに、哀しいことはない。何せ受験戦争で四当五落などといわれて頑張ったことが、全部、無駄だったといわれたようなもの。人生で最も有意義な時代が全否定である。
 受験勉強は、学習効果から見れば、劇薬どころか、毒薬である。




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