暴力装置


暴力装置


 官房長官が自衛隊は暴力装置だと国会で答弁して大顰蹙を買った。挙げ句に問責決議をされてしまった。
 どうも暴力という言葉が頭から嫌悪されてしまったらしい。
 戦後の日本人は、暴力という言葉が大嫌いである。とにかく、非暴力と言っていれば気がすむ。暴力なんて言う種族は未開な部族かなんかでしかないとヒステリックに決め付けている。
 ただ暴力反対なんて騒いでいる手合いにかぎって密かに暴力革命論者だなんて言う事が往々にある。こうなると明らかに詭弁であり、欺瞞、偽善である。

 私は、国家は暴力装置だと思っているし、国際社会は、暴力的な社会だと思っている。世界を支配する法がない以上、国際社会は無法な社会なのである。確かに、国際法は存在するが、それとて、国内法のような法ではない。この様な法を守らせようとすれば、守らせようとする者も必然的に暴力的になる。

 今の学校は、とにかく暴力反対である。
 何が何でも暴力を振るった方が悪いことになるらしい。
 こうなると泣いた奴が勝ちである。拳を振り上げただけで、実際に暴力を行使していなくても泣かれたら負けである。誰々ちゃんが殴ったと言えば、それでお終いなのである。
 一切の弁明、申し開きも許されない。一体、誰がこの様な無法を民主主義というのであろうか。
 理屈が通らないのだから正義などありはしない。
 逆に言うと先生が暴力を振るうことも許されない。下手をすると叱っただけでも暴力的だと非難されかねない。これではどちらが暴力的なのからなくなる。
 最近では、言葉の暴力なんて暴力の解釈も拡大してきた。
 とにかく、何が何でも暴力は悪。正当防衛なんて端から存在しないのである。

 しかし、人間には護らなければならないものがある。護らなければならない家族がある。名誉がある。信条がある。それを守るためには、暴力の行使もためらいはしない。

 暴漢に自分の愛する者が襲われたら、命をかけても戦わなければならない。男には、命をかけても戦わなければならないときがあるのである。
 意味もなく、頭から暴力を否定するのは負け犬根性である。
 自分の国も、仲間も、家族も、自分の身も名誉も自分の力で守らなければ自信の独立は護れないのである。
 自分の手で護れない自由は家畜の自由にすぎない。

 暴力装置とは何か。それは無条件に相手を従わせる力である。だから暴力なのである。権力は暴力装置である。権力を肯定しようが、しまいが、そんなことはお構いなしに権力は力を行使する。力を行使しなければ権力を保てないからである。
 暴力団が警官の言うことを聞かずに、警官に襲いかかってきた時、警官が無抵抗主義を貫き通せると思う方がおかしいのである。それでは治安なんて護りようがないのである。
 権力者が権力を行使しなければ、権力者以外の者が暴力を振るうことになる。それは無法の暴力である。
 何が正義か、何が悪かは、国民が決める事である。主体性のない者には、正義も不正もありをしないのである。
 自分の力で自分や家族や国を護れなければ、他人の力や他国の力を頼ることになる。それは隷属を意味しているのに過ぎない。

 暴力が是か非かではない。医者がいるから病気になるわけではない。消防士がいるから火事が起こるわけでもない。自分が望むか、望まないかではなく。相手が暴力を振るおうと思えば暴力を振るってくるのである。
 相手が暴力を振るうか、振るわないかは、相手の思想であってこちらの思想ではどうにもならないのである。
 自分が暴力が悪いと言ったところではじまらないのである。

 全ての人間が善良だと思うのは勝手だが、一人で暴力的な人間が混じり込んだら、平穏な生活は維持できなくなる。人を信じる事と現実とは違うのである。

 どんな動物だって自分が襲われそうになったら抵抗する。蛇に襲われた親鳥は、身を挺して蛇に戦いを挑み雛鳥を護ろうとする。それを暴力的だと言われたらそれまでである。

 自衛官を無法地帯、戦場に無腰で派遣しようなんて発想は、非暴力主義者の考えそうなことだが、派遣される自衛官にたいして無腰で出される方が、余程、暴力的である。

 武力は暴力かなどと問うこと自体馬鹿げている。
 それは、生きる為には、他の生き物を犠牲にしているという事すら認めていないのと同じである。
 それは、生きていることすら否定することにもなるのである。

 厭な事、嫌いな事、醜い事、怖い事、煩わしい事、鬱陶しい事、恥ずかしい事、面倒な事から、目を背けていたら問題を根本から解決することなどできない。なぜならは、厭な事だから、嫌いな事、醜い事、怖い事、煩わしい事、鬱陶しい事、恥ずかしい事、面倒な事だからこそ問題なのである。

 ただ意味もなく暴力を否定しただけでは、暴力はなくならない。強くなければ、正義は行われないのである。




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