教育の理想を求めて


覚悟をどう教えるか


 我々は、社会人に成り立ての頃、思想と宗教と野球の話は、仕事では出すなと言われたものである。この様な考え方が当時の日本人の精神構造にはあった。それが日本の文化だとは言いたくない。なぜなら、当時の日本は敗勢直後だったからである。ところが、その躾が我々の世代には染みついてしまった。いわば負け犬根性である。それが政治の世界にまで浸透している。だから、政治の世界では、今でも、思想や宗教の話ができない。
 今の民主党のみならず、自民党でも、思想や宗教の話はでない。小沢問題でも要するに突き詰めてみれば、好きか嫌いかの次元の話である。
 それをマスコミは、わかりにくいという。わかりにくいというマスコミも自分達の思想を明らかにできない。
 よくよく考えてみれば私情の問題である。好きか嫌いかの問題だと割り切ってしまえば単純な話である。

 思想信条を失えば残されているのは、感情だけである。結局は、好きか、嫌いかだけになる。

 思想や信条を明らかにしないから共産主義の過激派と民族主義者が同じ政党の下でやっていけるのである。しかし、それは野合である。
 政治でも、政党でもない、まやかしに過ぎない。
 政治の世界は、和をもって尊しとなすでは、やりきれないのである。

 要は覚悟の問題なのである。政治というのは覚悟である。

 好きか嫌いかでは覚悟などできやしない。
 覚悟とは、決断があってはじめてできる。
 自分で決めた事だから覚悟できるのである。
 自分の国や家族のことだって他人事だと思ったら、覚悟など出来はしない。

 大体、自分が生まれ育った土地や家族、国を愛せない者は、自分が嫌いなのである。
 自分の仕事に誇りを持てない者は、自分の人生に誇りを持てるはずがない。

 人を好きになるのだって、子供を産むにしたって覚悟いる。

 自分が自分の力によって社会で生きていく為には、逃げない覚悟、言い切る覚悟、自分は、この道で生きていくんだという覚悟。その覚悟が重要なのである。

 自分が人として社会人として生きていく為には覚悟が必要である。
 結婚をして相手を幸せにするためには、覚悟が必要である。
 子供を産み育てるためには覚悟が必要である。
 一人で生きていくというのならば、一人で死んでいく覚悟必要である。
 その覚悟がないままに、結婚をし、或いは、子を産み、又、一人で生きている。
 だから、伴侶を幸せにできず、子供を育てられず。一人で死んでいくこともできないのである。

 覚悟をさせるとは、愛する事を教える事である。
 自分で自分のことを決めさせることである。

 男は、何をするにも行動の前に決断しなければならない。
 だから、責任を問われるのである。
 自分の行動、しでかしたことに、言い訳はできない。
 自分の子ができたのも、男にとって決断なしにはできない。
 ただ欲望の儘に行動したのでは、許されないのである。
 それが男である。
 そして、男としての生き様を教えなければ、男は始末ができないのである。
 覚悟を決める。
 それこそが最大の教育である。
 その根本は、自信と誇りを持たせることにつきるのである。

 覚悟を決めるからこそ、意志が大切になるのである。





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