洗  脳 U

 オウム真理教とか、統一教会と言ったカルト集団が社会問題になる時、決まって有名大学の生徒が大勢信者になっていることが話題になる。なんで、そんな有名、名門大学の学生がと言うが、何の不思議もない。むしろ、有名大学の学生だからとも言える。今の教育によって純粋培養された学生は、洗脳されやすい。

 洗脳されやすい学生や環境を今の学校教育は、作り出しているのである。

 第一に、世間から隔離された環境に置かれている。第二に、決められた教科書に基づいて、一方的な教育がなされている。第三に、一定の目標、受験に専念させられている。第四に、学級という集合教育にならされている。同じ環境で、同じ規範で、同じ行動するように仕向けられている。第五に、個性や主体性を無視された教育をされている。判断力を養う教育がされていない。第六に、試験制度によって一定の答えを導き出すように訓練されている。同じ方向の教育がなされている。第七に、常に、誰かに保護されている。保護されている反面、重要な情報、肝心な事は知らされていない。依存しなければいられない環境にされている。第八に、目的を達成した後の構想が与えられていない。第九に、上の人間の言いつけを無条件に従順に従っうように躾られ、何も考えずに従った者の方が有利な地位に立てる。何も考えられない状況に置かれている。自分の置かれている環境に、疑問を持てば自分に不利に状況が働く。第十に、成績、偏差値が全てである。人格や理性、道徳観とは無縁なところで判断されている。つまり、主観的な判断基準が持てない環境にある。

 ある意味で学校教育そのものが洗脳教育なのである。

 この様な環境に長くいれば、いるほど、洗脳されやすくなる。学校という環境、状況への適応力、適合力が高ければ高いほど、洗脳されてしまう。そして、受験戦争を勝ち抜いた者は、受験という体制に対して、適合力、適応力が高いのである。

 だから、名門、有名大学の学生が洗脳されるとしても、何の不思議もない。受験戦争の中で、自己を確立できずにきたのである。そして、その状況を受験戦争が増幅している。

 これは大いなる矛盾である。本来、民主主義は、主体的自己を前提として、教育は、主体性を育むことが目的であるはずである。個々の国民から主体性がなくなれば全体主義に結びつく。ところが、教育によって自己喪失を招いているのである。つまり、国民一人一人から主体性を奪い取っている。これを矛盾と言わずに、何を矛盾というのだろう。民主主義教育が、民主主義の危機を招いているのである。

 ただひたすら受験勉強をして、大学へ入学したとたん、自分の力で判断しなければならない状況に置かれた時、必要な、判断力が付いていないことに気がつかされる。そうなると、必要な判断をしたくれる者を新たに探し求めることになる。そこにカルト教団がつけ込むのである。

 こうなると、子供達をその様な環境に追いやった親や教師は、無力である。

洗脳
戦後教育と洗脳


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