緊急時・非常時対策

 非常時、緊急時に対する対応は、根本的な教育である。
 外敵や災害から身を守るというのは、生き物にとって必要最低限の行為の一つである。生物の基本的な欲求は、生命の維持と種の保存である。この二つの要素の中でも生命の維持は、最優先な事項である。故に、自然界においては、最も原始的で重要な教育が生命の維持である。ところが、この最も重要な要素が現行の教育制度からすっぽりと抜け落ちている。

 災害訓練は、申し訳程度に、年一度、行われるくらいである。これでは、やっていないのも同じである。

 生命を維持する。種を保存するというのは、いわば、本能である。どうな小動物でも、自分の生命を守るのは、本能的なことである。生まれた時から自分の身を守ろうとする。また、最初に母親が教えるのは、乳を飲むことと危険なことから身を護ることである。

 外敵から自分のみを守ると言う事に至っては、発想そのものが欠落している。もっとも、日本は戦後、国を自分達の手で護ると言う事を放棄してしまったので致し方ないのかもしれない。

 しかしでは、極限状態におかれた時、一体誰が護ってくれるのか。結局、自分の身は、自分で護るしかないのである。自分の身を自分で護ろうとする者だけが、他者の援助を期待できるのである。自分で自分の身を護ろうとする意志がない者を救うことはできない。なぜならば、その人間の置かれている状況は、その人間にしか打開できないからである。
 溺れている者を救おうとしても、その人間が、助かろうとしない限り、救いは意味にならない。危険な場所に行ってはいけないと言う警告を無視して、危険に場所に行った者を救いたくとも救いようがない場合がある。自分から危険なところへ行き自殺行為をする者を救う術がないのである。
 この基本は、いつの世にも変わらない。そのうえ、自分で自分を護れない者は、結局は、自分を護ってくれる者に依存し続けなければならない。それは、外見は、自由に見えても家畜の自由に過ぎない。庇護がなくなれば、無条件で何者かに隷属せざるを得ないのである。

 国や社会を護ろうとしない者は、国や社会から見捨てられる。誰も護ろうとしない国や社会は、護りきれない。結果的に、国や社会の庇護も受けられなくなる。だから、自分の生命の維持、即ち、自分の生命を守ると言う事は、国家や社会の権利や義務の源なのである。
 だからこそ、外敵や災害から身を護る術を学ぶのは、義務なのである。

 自分達の家族や愛する者が生命の危険にさらされた時、致し方ないで済まないのである。誰も助けてくれない状況、助けが来るにしても時間がかかることが明らかな時は、自分の力で状況を打開しなければならない。
 しかも、事は、命に関わる問題である。自分や自分の家族の命に関わる問題を自分で解決する術がなく、他者に依存する限り、自立はあり得ない。依存すること自体が隷属なのである。
 故に、自分を護ることは、基本的素養なのである。それも、組織的に外敵や災害から自分達の所属する集団や組織を防御する必要がある。故に、生命の維持は、基本的な権利と義務の根拠にもなるのである。

 自分を護り、愛する者を護り、家族を護り、会社を護り、郷土を護り、国を護り、そして、人類を護る。それは、一貫したものであり、対立したものではない。ある意味で生きる者全ての本質に関わる問題である。

 身を護る術というのは、護身術、救急救命術、防火、防災訓練、サバイバル訓練等を指して言う。護身術は、年に一回程度の訓練で身に付くような者ではない。
 しかも、護身術は、訓練や練習が主で座学では身に付かない。

 護身術が教育において以前は、中心的な課題だったのは、文武両道という言葉からも明らかである。実戦的に身を護る術を身につける事を目的として武道は発達した。武道は、スポーツのようなものと違いあくまでも実戦的なのである。

 ところが、学校教育においては、これらの訓練や教育は一切為されていない。必要ないという見解なのである。学校に暴漢が侵入しても基本的には、無防備である。子供も教師も身を護る術も戦う術も教えられていないのである。

 外敵や災害から、自分の生命財産を護る術を学習することは、基本的な権利である。同時に、外敵や災害から社会や国家を護るのは、基本的な義務なのである。




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