権    威

 組織を統制するためには、権威が必要である。権威とは、その要素(人、概念、象徴)の位置や立場、役割による働きを裏付ける力である。
 故に、組織、制度があるところには、何らかの権威が発生する。

 権威は、その要素の働きが失われると形骸化し、統制力だけが残る。この様な権威は、有害である。

 道徳、聖典、法、憲法、国旗、指導者、教育者、国家は、その働きにより何らかの権威を背景に持つ。

 権限、権利の裏付けとしての権威は国家より生じる。この権威は、権力の象徴、裏付けでもある。

 絶対的権威は神だけである。この地上にある権威は、相対的な権威である。相対的な権威とは、社会的立場、地位、職務、機能から派生したものである。

 相対的権威は、絶対的権威を前提とし、絶対的権威から生じる。故に、神を信じぬ者は、自らを絶対的権威に置き換えて、自ら発する以外に相対的権威を位置付けることはできない。故に、神を否定する者は、自らを神とする。

 教育は、この権威を背景に持つ。つまり、教育は、権威主義的なものである。教育は、その働きを失った時、狭義の権威主義的なものに変質する。狭義の権威主義というのは、狭義の形式主義と同様、形骸化したの象徴だけで統制をとろうという思想である。それ故に、強権的な力に変質する。

 本来の権威は、その働きによる。教育の権威は、徳をもってする。徳のない教育は、強権的な教育である。本来の機能を喪失している。

 教育者に求められるのは、人格である。人格こそ権威の源でなければならない。なぜならば、教育者の社会的位置づけや働きは、人を指導する立場であり、働きだからである。

 権威が権威として正しい力を発揮するためには、その働きを明らかにしなければならない。さもないと、権威は、形骸化して、本来の目的、在り方と違う働きをしてしまう。社会において本来の働きと違う力を発揮することは、通常、異常な働き、有害な働きになる。

 教育上の権威が、正しい働きをしないと正常の成長や自己の発達を疎外することになる。その結果として、個性や自主性が発揮されなくなる。

 教育上の権威は、社会的権威である。つまり、社会の属性である。故に、その根源は、国民的合意であり、顕彰化されたのが憲法である。つまり、教育の根源は、憲法にある。そして、教育在り方は、国家の在り方に発する。




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